フリー哲学者ネコナガのブログ

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失礼な記事とネット上でのマナーについて(3)

nekonaga.hatenablog.com

 

 この記事は三本構成の最後にあたるものなので、前二つを先に読んでいただければ幸いである。

 

 このブログを非常識な形で取り上げている記事を例にネット上でのマナーを言語化しているところだったが、前二回で確認したのは、一言でまとめてしまえば、結局は「他者に対する敬意」というものが、いつでもどこでも重要だということであった。

 ではなぜ、ネット上ではそのあたりが疎かにされがちなのかということだが、これについては、断定的に語れば、意識的にか無意識的にか「ネット上と非ネット上とで態度を使い分けてしまっている」というのが一つの大きな原因だと考えられるだろう。要するに、常識的にみて明らかに失礼な行為でも、「ネット上ならば許される」という発想になりがちだということである。

 あるいは、「私的空間と公的空間の区別が曖昧になっている」というのもそのことと密接な関係にあると考えられるが、要は、ネット上空間はほとんどすべて公的空間であるにもかかわらず、単に知らない・考えていない等の理由でむしろ私的空間(またはその延長線上にあるもの)だとみなしてしまう結果、非ネット上空間においては明らかに非常識だと思われることでも平気で行ってしまう、というメカニズムだとまとめられるわけである。

 さて、今回の主題はそのあたりだが、もっとも、この問題については何年か前にすでにこのブログに書いたことがあるので、今回はそれを再掲載することで、別の角度からも整理を行うとともに、多くの非常識なふるまいが実は根源を同じくしているということを示しておくことにしたい。当該記事はブログを整理する上で非公開となっていたものだが、このブログのいくつかの記事が無断転載されていた時に書いたものである(問題については解決済み)。

 

(以下、その記事)

 

 このブログの一部の記事が、いくつかのサイトにおいて許可なく転載されている。先日新たに発見したのだが、以前からいくつかは知っていたので、インターネットの世界では思っていた以上にこういうことが日常茶飯事なのだということに驚いている。

 驚いているだけではなく、もちろんその意味を認識したうえで、私としてはすぐにやめていただきたいし、そういったコードを守るのが当たり前であるようなカルチャーを担保すべきだと思うが、ともかくこうした問題について少し書いておきたいと思う。

 

 まず、言うまでもなく他人の著作物を許可なく転載するのは著作権の侵害にあたる行為である。「引用」の場合はルールに則っていれば許可をとる必要はないが、いわゆる転載、とりわけ丸ごとコピペなどは、本人の許可がなければただちに侵害行為となる。

 引用のルールについては常識の範囲内だと思うが、簡単に言えば、あくまでも自分の文章がメインである中で、引用する必然性があり、引用元がきちんと示されており、引用部分がそうでない部分と区別されている、などの条件を満たしている必要がある。

 ちなみに著作権法を読めば、ブログの記事にも当然著作権が発生していることは明らかだし、もちろんペンネームであっても著作者とみなされる。したがって書いた本人の意思とは関係なく、すべてのブログ記事には公開した瞬間に著作権が発生している。

 

 そもそも、使い捨て文化のネット上にあって、ブログの記事に著作権があるという認識自体がおそらく薄いのであろう。しかもコンピュータ上なら複製などは一瞬でできてしまうから、「できてしまうなら、やってしまう」という人が出てくるのは常である。

 もちろん、「できることをひとまずやってしまう」というのは元来IT業界の推進力でもあるが、何であれ社会性がなければ初めから論外だということだ(その意味では、いくら社会的意義があっても、例えばウィキリークスをどうみるかは微妙なところだ)。

 いずれにしても、大人として最低限の知識と社会性がなければ、インターネットは使うべきではないだろう。日本では特にネット上空間が未成熟だと言われるが、これは匿名文化だからではなく、問題は非ネット上空間と同じように見ていないことであろう。

 

 さて、どうやって無断転載を知っているかというと、もちろん自分でいちいち探しているわけではないから、はてなブログに元々ついているアクセス解析で、いわゆる参照元ページに見慣れないサイトがあるから気づくのだが、おもしろいのはここである。

 つまり、無断転載している輩は、ご丁寧に元記事のURLは貼っているわけである。それなら最初からURLだけを貼れと思うが、なぜ損害賠償請求や刑事罰を受けるリスクを負ってまで、もうひと手間かかる転載の方を選ぶのか。そのあたりの心理が謎である。

 もっとも、これはやはりある種の「クセ」のようなもので、特に何も考えずにやっているだけなのであろう。要するに無知な「子ども」であり、結局「使うべきではない人が使っているから」ということになる。つまり、問題は明らかに「社会性」である。

 逆に言えば、ネット上空間に特有のルールやマナーがあるわけではない。ルールはルール、マナーはマナーであり、非ネット上空間と同じく大人として最低限の知識を持って、自分の行為に責任を持って、他者を尊重して、その上で自由にやればよいだけだ。

 

 「社会性」とは、当然だが、そこが社会であることを前提に振る舞うということである。つまり、「個人の領域ではない」ということにポイントがある。現に著作権にしても、私的複製(自分が紙で読みたいから印刷するなど)ならば侵害にはあたらない。

 しかし、個人の領域ではない「社会」の領域になった瞬間に、そこには社会ごとに様々なルールがある。日本社会なら、法治国家だからもちろん日本の法律を前提にする必要があるし、その他の様々なレベルでの社会的コードもふまえておく必要がある。 

 

 こうしてみれば、もっと根本的に重要なのは、私もここで「ネット上空間」と「非ネット上空間」を当然のように別のものとして語ってはいるが、それらが実際にはつながっている一つのものである、ということをいつでもどこでも忘れないことであろう。

 そうすれば、大人としての最低限のふるまいを不用意に逸脱することもないし、ネット上だからとべつだん神経質になる必要もない。要するに問題はむしろ、それが「社会空間か個人空間か」ということである。個人的な領域なら、どうぞご自由に、である。

 無断転載にしても、オフラインに限って、自分だけがみるローカルな場所でやるなら構わないわけである。ただ、それをネットワークに乗せるという形で勝手に社会空間に持ち込んだ瞬間に「子ども」とみなされ、然るべき社会的扱いを受けるというだけだ。

 

 あるいは社会的な話とは別に、無断転載された時の個人の実感というのもあるが、これはやはり「気持ちが悪い」であろう。著作権法の目的はともかく、私個人としては、自分の文章が公にあるのに自分の管理下にない、ということがとても気持ちが悪い。

 これは、SNSで自分の写っている写真を勝手に載せられる気持ち悪さと同じであろう。私の周りでも、まともな人はその場で一人一人に載せてもいいかをきちんときいているが、そういう人を私は大人と呼ぶ。「みんなしているから」は子どもである。

 もっとも、生まれた時からネット文化に触れている人口が増えるとともに、「できるんだからやっていい」という子どもの論理がますます蔓延してゆくのは間違いないだろう。そういう今こそ、「自由」はもともと社会性と不可分であることを教えるべきだ。

 

 だいぶ話が派生したが、もっとも現実的には、無断転載されたからといって、お手軽な対処法があるわけではない。目立ったレベルの被害があれば流れ自体は明白だが、手間はかかるし、いずれにせよ多くの場合はされた方が一方的に迷惑を被るだけである。

 しかし、だからこそ、そもそも法的に問題があるということはもちろん、個人的な理由で嫌だという人はそれも含め、こうした行為がまかり通って当然とならないように、何かあればどんどん声を上げてほしいと思う。こうしてブログで書くのでもよいし。

 

(ここまで)

 

 ということで、結局はこれまたよくある「著作権の侵害」というルール違反でさえも、あからさまに悪意がある場合を除けば、多くは単に「私的な場と公的な場の区別がついていないこと」に原因があると考えられるわけである。

 以上をふまえて最後にまとめれば、何よりもわかっておくべきなのは、(記事タイトルではわかりやすく「ネット上でのマナー」としているが)要するに、本当は「ネット上でのマナー」などという概念はない、ということだろう。その意味ではネット上で何かを発信する上でも、相手を尊重する、人として敬意をもって接するという、当たり前のことをどれほど忘れないでいられるかがひとえに重要だと言える。結論としてはあまりにも月並みだが、言語化してみた意味は多少なりともあったと感じている。


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