フリー哲学者ネコナガのブログ

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新訳 ジョージ・バークリー『人知原理論』─存在するとは、知覚されるということである

 ジョージ・バークリー『人知原理論』の新訳(ちくま学芸文庫、宮武昭訳)が刊行されていたので読んでみた。

 

 バークリーと言えば、一般的にはあまり知られていないが(しかし、実はカリフォルニア州バークレーは彼の名に由来する)、哲学史に親しい人にはおなじみ、いわゆる「イギリス経験論」の代表論者の一人である。他にジョン・ロックやデイヴィッド・ヒュームがいるが、年代的にはその間にいるのがバークリーだ。三人のこの分野での主著を並べてみると、ロックは『人間知性論』(『人間悟性論』とも)、バークリーが本書、ヒュームが『人性論』(『人間本性論』とも)となる。

 もっとも、知識は経験に由来すると考える点では三人の思想は共通しているが、そう主張する動機については、とりわけバークリーは他の二人に比べると異質である。ロックやヒュームが、ニュートンらによって行われ始めた「実証科学」のスタイルを人間精神の探求においても適用しようとしているのに対して、バークリーの関心は「信仰の擁護」にあるからだ。バークリー哲学の基礎は神への信仰なのである(バークリーは聖職者であった)。

 にもかかわらずざっくりと「イギリス経験論」とまとめられ、結果的にロックやヒュームの陰に隠れるような形となっているのは、哲学史的には、神の存在証明についての関心が時代を追うにしたがって薄まってきたことに加えて、カントによる批判の影響が大きいとされている(ちなみにイギリス経験論に対するものはデカルト、スピノザ、ライプニッツらに代表される「大陸合理論」であり、この経験論と合理論の綜合を試みたのがカントである、というのがスタンダードなまとめ方である)。

 

 ところで、上に挙げた三人の著書はイギリス経験論の古典でもあるが、それ以上に西洋哲学そのものの古典である。おそらく今日においても西洋哲学の必読文献を100冊挙げよと言われたら間違いなく入るであろうし、10冊でもあるいは入るだろう(プラトンがマストであり、それ以外は立場によるだろう)。それくらい西洋哲学的な世界観の基礎となっているものだが、しかし問題は、今の日本ではおそらくこれらの著書はほとんど読まれていないということである。

 とは言え、その理由は何のことはない、端的に一般読書家にとって手に取りやすい全訳がなかったというのが大きいだろう。実際これらの全訳は、古くは岩波文庫にもあったが、いずれもおよそ半世紀前の刊行だ(『人間知性論』全4巻は1972-4年、『人知原理論』は1958年、『人性論』全4巻は1948-52年。全て大槻春彦訳)。そう感じる人には訳文も古いものがあるし、新刊書店には置いていないから、気軽に読んでみられるものではなかったわけである(『人性論』は2011-2年に放送大学出版局から新たな全訳が出たが、研究書であり、個人で買う人は少なかっただろう)。

 ともかくこうした事情もあるので、今回の『人知原理論』新訳の刊行に歓喜している人は一部に確実にいると想像されるが、本書は原書も邦訳も全1巻なので、イギリス経験論の原典に触れるはじめの一冊という意味でも、今後とも貴重な一冊になると考えられるだろう。

 

 さて内容であるが、実は本書が「何を述べているのか」については今でも議論がある。最近まで誤解されていた、というのは解説文の常套句であるし、あるいはバークリー本人も自身の考えをどこまで整理していたのか定かではない。しかし、こうした混乱が生じた主な理由は出版の経緯にもある。本書は「序文」と全156の節が淡々と並ぶ「第一部」から構成されるが(本訳書では便宜的に章分けがなされ、詳細目次もついている)、実は原稿の紛失等もあって、想定されていた第二部と第三部がないまま、第一部だけが刊行されたのだ(したがって「序文」は本来の全体についてのものであることに注意)。だから何となしにわかりづらくなっているという事情もあるわけである。

 とは言え、哲学書ではこういうケースは珍しいものではないし、例によってインパクトのあるところは原文でも明瞭な形で示されているので、以下では、詳細にはあまり踏み込まない入門的な部分を紹介しておくことにしたい。解釈はその人の立場や想定している文脈によるが、本書の主張は、論理構造自体はきわめて単純明快だと言えるものがある。

 

 さて本書で最も有名なのは、「事物が存在するとは、知覚されるということである」という命題だろう。これは、まさに読んで字の如くだが、「存在しているならば、知覚されている」ということだ(逆に言えば「知覚されていないものは、存在しない」となるが、それは後述)。そして、それなら「知覚されるもの」に対する「知覚するもの」の存在がただちに想像されるが、まさにこの二つのものがあるのであり、この「知覚するもの」をバークリーは「精神(あるいは心・魂・私自身等々)」であるとする。

 要するに、「知覚されるもの」とは別次元にある「精神」なるものがあり(「精神」という観念は「知覚されるもの」に含まれるが、ここで言う「精神」はまさに精神そのもののことである)、それが何かを知覚する。存在するとは、そのものが精神によって知覚された、ということなのである。しかしそれなら、われわれは結局のところ「知覚したもの(観念)」しか知り得ないのだから、すべては精神の中にある、ということにもなるだろう。これに関する部分を引用してみよう。

 

 誰でも承認するように、思考内容も、情念も、想像力によって形成される観念も、精神のそとには存在しない。そしてこれに劣らず明白なことに、さまざまな感覚(sensation)つまり感官に刻印されるさまざまな観念は、どれほど混合され総合されようとも(つまり、いかなる対象をつくろうとも)、これらの観念を知覚する精神のなか以外には存在できない。存在する(exist)という言葉が感覚可能な事物に適用されるとき、それが何を意味するのかに注意する人ならだれでも、このことを直感的に知ることができるだろう。(『人知原理論』宮武昭訳 p.55)

 

 まさに「すべては精神の中にある」のであり、これがバークリーの主張の根本となる。ところで、これはそのまま「物質は存在しない」というラディカルな主張を導くことになる。なぜなら、われわれにとってアクセス可能なのはどこまでいっても「精神」の範囲内だけだからだ。例えば目の前のリンゴを知覚した(リンゴの観念を得た)からといって、その外側に言わば「本物のリンゴ(いわゆる「物質」としての)」なるものがあると考える根拠はないということである。「本物のリンゴ」などというものにわれわれはアクセスしたことがないからだ。わかりようがないものをあれこれ議論しても無意味であり、したがって、物質は単に「存在しない」となる。

 ちなみにこの時点ですでに言えるのは、バークリーはデカルト以来の二元論、つまり「物質」と「精神」を分けて考える発想を斥けているということである。ここで示されているのは一元論であり、それも「物質一元論」ではなく「精神一元論」だ。ここが本質的にインパクトがある部分だが、この点がまさに「物理的実在・実体がある」という発想を抜きにしては成り立たない当時の自然科学、自然哲学と袂を分かつ点でもある。いずれにしても、バークリーは支配的な思想を正面から批判しているのである。

 

 では、残しておいた疑問、「知覚されていないものは存在しないのか」についてもみておこう。「存在するとは、知覚されているということ」であるなら、当然、知覚されていないものは存在しないのではないのか。例えば、私が今この文章を書いている机は(これは筆者にもあてはまるが、バークリー本人の表現である)、私が知覚していないときには存在しないのではないか。いや、そもそも「すべては精神のなか」だとすると、「誰にも知覚されていないもの」が存在する余地などあるのだろうか。

 ここまでに見たところで言えば、「知覚するもの」と「知覚されるもの」があるのであり、「知覚するもの」とは「精神」のことであった。バークリーはこの主体、精神、心、自我等々と呼ばれるものを「能動的な存在者」であるとしているのだが、逆に言えば、机などはそうした能動性を持たないからこそ、それ自身によって存在することはできないわけである(だから、存在するには「知覚される」必要がある)。したがって、知覚するものがいなければ「それは存在しない」と結論付けるのが道理だろう。

 否、バークリーによれば違うのである。ここがバークリー哲学のおもしろいところの一つだが、バークリーは、誰も知覚していないかのように思えるときでも、それを知覚している主体がいると言うのだ。それが「神」なのである。神はすべてもれなく知覚する。要するに、神はわれわれと同じく「知覚するもの」なのであり、言わば「神」とは「精神」の最高形態なのだ。こうしてバークリー哲学は、時の思想界のもう一つの潮流である「無神論」に対しても、正面から反対することになるというわけである。

 

 ということで、バークリー哲学の骨子は「精神一元論」であるが、それがここでは紹介しなかった多くの論点にもつながるものとなる。まさに簡単な紹介であったが、徹底した経験論と独特の神学が共存しているバークリーの哲学はとにかくユニークである。しかし決して難しいものではないし、短い本でもあるので、興味を持った方は実際に読んでその広がりを味わってみてほしい。現代科学、現代哲学の目から見ても、バークリーは明らかにある種の先駆者であり、単に「ロックとヒュームのつなぎ役」と見るのは実にもったいないことがわかるだろう。

 

人知原理論 (ちくま学芸文庫)

人知原理論 (ちくま学芸文庫)

 

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