フリー哲学者ネコナガのブログ

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ボノボとチンパンジーは意思疎通できるか─ジェスチャーはどこから来たのか

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 ボノボとチンパンジーがそれぞれ意思疎通のために使っているジェスチャーのうち、かなりのものが二種の間で共通していることがわかったらしい(ひとまず上の動画が便利だが、元の論文は「Bonobo and chimpanzee gestures overlap extensively in meaning」)。共通のジェスチャーがあることは以前から知られていたが、今回はそれらを類型化して比較したところ新たな発見につながったようだ。これを基にしていろいろな議論が進みそうであるが、少し紹介してみることにする。

 

 最初にボノボとチンパンジーの位置づけを簡単に見ておくと、広義では(「属」で言えば)これらはどちらも「チンパンジー」である。その中で、ピグミーチンパンジーを「ボノボ」、コモンチンパンジーを単に「チンパンジー」と呼んでいるわけだが、いずれにしてもこれら二種は、非常に近い関係にある霊長類同士である。

 ちなみに、ジャレド・ダイアモンドが著書のタイトルにしているように、これら二種に加えて人間を『第三のチンパンジー』と見る視点もある。あくまでもDNAを比較した場合だが、霊長類の中でチンパンジーに最も近いのは人間だからだ(共通の祖先から分かれた順で言えば、オランウータン、ゴリラ、ヒト、ボノボ、チンパンジーとなる)。ついでに、「類人猿」というのは「人間以外」というほどの意味の恣意的なカテゴリーであり、自然的根拠はない、というのも知っておいて損はないだろう。

 

 次に確認しておくべきは、コミュニケーションの手段としてのジェスチャーとは何かである。数多の生物種が食糧の場所や天敵の位置を伝えるような固有の信号を持つことが知られているが、とは言えそれらは一方通行的かつきわめて機能的なものである。一方で今回問題となっているのは、明確な受け手がおり、その受け手の行動や心理状態を実際に変化させることを意図して発せられるようなものである。こうなるとかなり例は限られてくるが、要するに「意味」を伴うような場合の「動き」である。

 したがって今回の研究では、受け手の反応も考慮しつつ、動きと意味を併せて類型化して、その上でボノボのものとチンパンジーのものを比較するという方法になっている。チンパンジーについてはすでにデータがあったため、新たに野生のボノボからデータを取り、33通りに類型化した上でチンパンジーのものと比較したということだが、結果、動きのレパートリーは両種の間で実に88-96%も共通しており、さらに個々の動きの「意味」についても、かなりの部分に共通性が見出されたということだ(両種とも多くの多義的なジェスチャーを持つことも考慮されている)。

 ちなみに「意味」の取り方については、個体Aが個体Bに向けて特定のジェスチャーをした後、Bが何らかの行動を起こし、その時点でAのジェスチャーが止まれば意思疎通が成功したとみなすというものである。こうして観察を繰り返せばある程度の意味(集団内で共有されている結びつき)が想像できるというわけだが、いずれはボノボやチンパンジーに固有の認知システムにまで踏み込めば、比較はさらにおもしろいものになるだろう(現時点ではこれは話が早すぎるが)。

 

 ともかく、どうやらボノボとチンパンジーのコミュニケーションの作法はそっくりであるわけだが、ここからすぐに思いつくのは、このジェスチャーシステムが生物学的に受け継がれている(遺伝している)という興味深い可能性である。実際、いくら近縁とは言え二種が分かれたのは百万年から二百万年も前のことであり、その後に独自に身に付けたとするには少々似ていすぎだろう。そしてもちろん、これらとほとんど同じようなシステムを、少なくとも二種の(あるいは他の種も含めてもっと遡るような)共通の祖先にあたる種がすでに持っていた可能性も浮かび上がるとなれば、わが人類との比較も見逃せないところである。

 もちろん、9割も一致しているのは「動き」だけであり、「意味」がそこまで共有されているわけではないし(動きの類似性だけなら当然、二種がほとんど同じ身体構造でほとんど同じ環境で暮らしていることも考慮せねばならない)、個体の一生の間にどのように発達していくか等も今後の研究課題ということだから、いずれにしてもまだ何かを言うのは早すぎるが、とは言え人間においても様々なトピックで生じたように、いずれは「どれほど生得的でどれほど後天的か」といった問題がボノボやチンパンジーにおいても議論されるようになるのかもしれない。とにかく今後の研究が楽しみである。

 

 ちなみに、各所に出ているこのニュースの記事を見ていると気になったのだが、このジェスチャーによるコミュニケーションシステムを安易に「言語」と結びつけるのは考えものだろう。現代的な感覚で言えば、まずこうしたシステムは少なくとも「文法」を備えていないという点で「言語」とは呼べないし(文法とは何かというのもまた一概には言えないが)、では言語の前段階かといえば、そもそも言語とジェスチャーの関係をどうみるかというのも大いに意見が分かれるところであり、やはりそれ自体が一つの立場を表明することになってしまう。

 一応、今回の研究を読む限りでは、言語が他の種とも進化のプロセスを共有するような連続的な形で獲得されたものか否かという問題は、ある意味ではますます複雑になったと言えるだろう。言語起源の探究を大きく二つに分けると、一方にジェスチャーから進化したと考える側がおり(トマセロ『コミュニケーションの起源を探る』やコーバリス『言葉は身振りから進化した―進化心理学が探る言語の起源』などが読みやすい)、他方で反対側の極、つまり言語は何らかの理由で非連続的な形で獲得されたと考える側がいるが(この代表はチョムスキーだが、以前の記事「ノーム・チョムスキー『我々はどのような生き物なのか』」を参照)、それぞれ説得力があっておもしろく、個人的に結論を出すにしても、まだどちらかを切り捨てるのはもったいないと言えるだろう。

 

若い読者のための第三のチンパンジー (草思社文庫)

若い読者のための第三のチンパンジー (草思社文庫)

 

 本書は元々『人間はどこまでチンパンジーか?』というタイトルで分厚いハードカバーの本だったが(原題は『The Third Chimpanzee』)、その後に新たな知識を加えて全体を読みやすくした簡略版が『若い読者のための第三のチンパンジー:人間という動物の進化と未来』である。上のものは昨年出たその文庫版。ジャレドダイアモンド大人気。


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