フリー哲学者ネコナガのブログ

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ダニエル・カーネマン『ダニエル・カーネマン 心理と経済を語る』、『ファスト&スロー』(上・下)

 ダニエル・カーネマン『ダニエル・カーネマン 心理と経済を語る』(以下『心理と経済』)と『ファスト&スロー(上)(下)』(以下『F&S』)を再読したので紹介することにする。一般的にはこの分野は実用的側面に注目して読まれがちだが、人間本性の探究という意味で何度読んでもおもしろいものがある。

 

 ダニエル・カーネマンは、実際は生え抜きの心理学者であるが、ご存じの通り「行動経済学」の創始者として知られており、2002年にノーベル経済学賞を受賞している。現在のところカーネマンの知性に日本語で触れられるのはこれら二つの著作だけであるため、どちらも貴重だと言えるだろう(厳密に言えば『心理と経済』は日本オリジナル編集なので、邦訳著作は『F&S』だけである)。

 比べてみると、初の一般向け著作である『F&S』の方が有名だが、同書が多くの研究内容を具体例豊富にかみ砕いて解説しているのに対して、ノーベル賞受賞記念講演、ノーベル賞受賞時に発表された自伝、そして「一般読者にも読みやすい」論文二本が収録されている『心理と経済』の方は、『F&S』が邦訳される少し前にカーネマンその人を紹介するという方針で刊行されただけあって、フィロソフィカルな側面も垣間見られる格好の入門書となっている。

 ということで、単におもしろく読むなら大量の研究が紹介されている『F&S』がいいかもしれないが、もう少しアカデミックな雰囲気のまま本質的な部分を味わいたければ『心理と経済』がいいだろう(同書はページ数でいえば「自伝」が最もボリュームがあるが、ここでは興味深い精神風土を知ることができる)。あるいは両方読むなら『心理と経済』が先の方が読みやすいと思われる。

 

 さて、まず「行動経済学とは何か」についてみておこう。これは、簡単に言えば経済学に心理学を持ち込んだものである。大まかに特徴をいえば、心理学は現実の人間を対象とした観察・実験を通して理論をつくり上げるが、それに対して経済学は、基本的に数学的なモデル化を重視するというのがまずあった(それゆえに社会科学の中では最も「科学的」であるとも言われていたわけであるが)。

 しかし、モデル化するからには必ず切り捨ててしまうものが生じるわけで、この場合にはそれは「心」であった。つまり経済学は基本的に「人間の心」の複雑性を無視することで成り立っており、実際に「人間は完全情報を持っており完全に合理的である(ゆえに必ず利益を最大化しようとする)」と想定していた。わかりやすく言えば、人間は同じ商品を買うなら必ず最も安いところから買う、と考えるということである。この前提があるからこそ「需要と供給」による価格形成理論が成り立っていた。

 とは言え、もちろんこの人間像(=ホモ・エコノミクス)はあくまでも「モデル」で、現実の人間とは合致しないものであり、さらにそのギャップはますます大きくなっていることは明らかであった。市場が十分に小さい時代ならまだしも、現代的な感覚では、完全情報はおろか十分だと感じられる情報量を持つことさえ難しいし(したがって必ず「もっといい選択肢があるかもしれない可能性」が残る)、合理的かどうかもきわめて怪しいだろう(例えば「高くても気に入っている店で買いたい」とか、経済合理性以外の判断基準が多分に介入する)。

 こうした理論と現実との「ズレ」が、「少しある」どころではなく、「あまりにもありすぎるのではないか」といった空気の中で20世紀後半に台頭してきたのが、人間の心も考察対象に入れる行動経済学だというわけである。そして、例えば「限定合理性」といったキータームが出てくることになる。これは遡ること1978年にノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンが提唱した概念で、カーネマンの研究にもつながる流れだが、要するに人間が「合理的に」考える能力には知識の不完全性や予測の困難性等により様々な限界があるということである。

 ともかく、いずれにしても人間は「限られた範囲内で合理的」だというのが重要なところである。したがって、『心理と経済』でも強調されているが、よく言われているように行動経済学は人間が「不合理である」とか「非合理的である」と言っているのではない。単に「限定合理的である」という前提に置き換えましょうということだ(そもそも人間が合理性のかけらもないなら、理論化しようとする試みは徒労に終わるだろう)。その上で、実際にはどのような判断をしているのかを研究するのに実験心理学が役立つというわけである。

 

 さて、大まかに言えばこうした問いにいくつかの側面から答えたのがカーネマンである(実際にはカーネマンの研究の多くはエイモス・トヴェルスキーと共に行われているが、ここでは煩雑になるのを避けるためいちいちそのことを書かないことにする。二人の関係について詳しく知りたい人は『心理と経済』に収録の「自伝」を参照)。ここでは、特に有名な「ヒューリスティックスとバイアス」に関する研究の一部と、「プロスペクト理論」のさわりをみてみることにする。

 

 まず「ヒューリスティックスとバイアス」である。「ヒューリスティックス」とは、「アルゴリズム」と対比するとわかりやすいが、アルゴリズムが「厳密に」解を導き出す手続きであるのに対して、ヒューリスティックスは「便宜的に」、つまり限られた時間内に限られたパフォーマンスの中で、正解から大きく外れてしまう場合もあるが正解に近い可能性が高い解を導き出す手続きのことである。多くの場合これは論理よりもむしろ直感寄りの判断であり、それゆえ即座に応答することができるが、反面、様々なバイアスをもたらすことになる。

 わかりやすいものを言えば、「利用可能性ヒューリスティック」というものがある。これは例えば「rという文字が最初に来る単語の数と三番目に来る単語の数はどちらが多いか」と問うことによって現れるが、実際には三番目に来る単語の方が多いにもかかわらず、被験者は最初に来る方が多いと答える。なぜなら、rが三番目に来る単語よりもrが最初に来る単語の方が「思い出しやすいから」である。つまり、客観的な頻度を問うているにもかかわらず、なぜか個人の脳内での「思い出しやすさ」が判断を多分に左右しているのである。

 こうしたバイアスは、よく報道される事象ほど頻繁に起こっていると信じられていることなどにも典型的に現れている。『F&S』では、病死は事故死の18倍に達するが同程度と判断されることや、事故死は糖尿病の死亡数の300倍と判断されるが実際には糖尿病が事故死の4倍であることなどが挙げられているが、つまるところ、われわれは関連性が高いからあるデータを使うのではなく、単に利用しやすいからそのデータを使いたがるのだということである。

 次に、特に有名な「リンダ」という架空の女性が登場する実験から「代表性ヒューリスティック」についてみてみよう。まず、次のような人物描写が与えられる。「リンダは三十一歳の独身女性。外向的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある」(『F&S』上巻より)。その上で、リンダの現在の姿を想像してもらう、というものである。

 1980年代にこの人物描写を読んだ人たちは、みなリンダがカリフォルニア大学バークレー校の学生に違いないと思ったという。そのあたりのイメージは多分に時代依存的ではあるが、とは言え現代的にみてもここには何らかの「典型的な」人物が描かれていることはわかるだろう。ともかく、こうした人物描写を読んだ上で選択肢の中からあてはまる程度に応じて順位をつけてもらう。選択肢は「小学校の先生、ヨガを習っている書店員、フェミニスト活動家、精神科医のソーシャルワーカー、女性有権者同盟のメンバー、銀行員、保険の営業員、フェミニスト銀行員」である。

 結果、最もよくあてはまるのは「フェミニスト活動家」や「ヨガを習っている書店員」であり、最もあてはまらないものは「銀行員」や「保険の営業員」となる。これは予想から大きくは外れていないだろう。しかし、ここからが肝心なところで、ではリンダが「銀行員」か「フェミニスト銀行員」のどちらかならばどちらであるか、と問うのである。すると、全員が口を揃えて「フェミニスト銀行員」と答えるということだ。

 これは驚きの結果だろう。というのも、確率の観点からいえば、どちらかであるなら絶対に「銀行員」を選ぶべきだからだ。単純に考えて、「フェミニスト銀行員」は「フェミニスト」かつ「銀行員」である必要があるわけで、しかし元より「フェミニスト銀行員」は全員がもれなく「銀行員」なのだから、単に「銀行員」を選ぶ方が正解する確率は間違いなく高くなるからである(言い換えれば、「フェミニスト銀行員」である確率は「銀行員」である確率を必ず下回る)。

 これは、選択肢において「銀行員」が重複している、つまり「何かひねりがある」と立ち止まって考える機会が与えられているにもかかわらずこうなのである。あるいは全員が確率や統計の高度な訓練を受けているスタンフォード経営大学院の博士課程大学院生を対象とした場合でさえ、85%が「フェミニスト銀行員」を「銀行員」よりも上位にランク付けしたということだ。要するに、われわれは論理よりもはるかに「ステレオタイプとの類似性=代表性」によって判断しているということだ。リンダは、フェミニストではないと判断されるにはあまりにも「フェミニスト」すぎたのである。

 

 最後に、「プロスペクト理論」である。これはカーネマンの主要な研究だが、不確実な状況のもとで選択する時に人がどういう行動をとるかについての理論である。一言でいえば、「効用の担い手は変化であり得失であって、富の絶対量ではない」(『心理と経済』より)というのが核心である。これはノーベル賞記念講演からの引用だが、ここで「富の絶対量ではない」と言っているのは、経済学において支配的であった、富の絶対量こそが効用の基準であるとするダニエル・ベルヌーイ(1700~1782)のアイデアを明白に斥けているからである。

 カーネマンの発想がおもしろいのは、「知覚」とのアナロジーで考えていることである。人間の感覚器官は全て「変化」を認識するために進化していることが知られているが、つまりわれわれの認知は「変化するもの」にとりわけ強く反応するようにできている。それなら、同様に「効用」の基準についても、トータルで見た場合の絶対量よりも「ある基準点からの変化量」こそ重要だろうというわけで、研究の結果、実際に人々はそう感じていることがわかったのである。

 例えば、証券会社からの月例報告があり、金融資産が400万から300万になったAさんと、100万から110万になったBさんを考える。どちらが幸せかと問われたら、多くの人はBさんだと答えるだろう(何しろ「増えた」のだから)。しかし、どちらの方が自分の全体的な資産状況に満足すべきかと考えれば、依然として資産額が3倍近いAさんの方なのである。にもかかわらず、なぜかBさんの方が「幸福」を感じるし、他人から見ても依然として資産の多いAさんよりも幸せとみなされるということだ。

 プロスペクト理論はこのように、ある意味で「目先の反応」に注目して、人が「変化」を「結果」と考えるというリアリティをそのまま記述するものである。さらに、こうして「基準点」という変数を入れることでわかったことの一つに、カーネマンが「損失回避性」と名付けた傾向もある。これも興味深いが、「人間は同等の利得から得られる満足よりも損失の方に常に激しく反応する」というもので、要するに同量ならば必ずマイナスの方(不幸)を強く感じるということである。

 このことはコイン投げのギャンブルでわかるが、表なら150ドルもらえて、裏なら100ドル失うとすると、たいていの人はやりたがらない。しかし、期待値はプラスなのだから、論理的に考えればむしろやるべきだろう(計算が面倒なら10回くらい実際に行って損得をシミュレーションしてみるとよい)。にもかかわらず、ほとんどの人は損失のだいたい2倍の利得が見込めないと乗らないのである。つまり明らかに論理的な計算ではないわけで、むしろ何らかの本能的なものが介入している可能性さえあると言えるのである(『F&S』の中では進化の歴史に由来するのだろうと書かれている)。

 

 ひとまずこのあたりにしておくが、いずれにしてもカーネマンの本を読むと、地道な研究の中からあまりにも多くの「人間にまつわる再発見」が行われているのに驚くばかりである。私の紹介はけっこう雑なので(論理は崩さないように心掛けているが)、この記事からカーネマンの研究に興味を持ったなら、是非とも本を読んでみていただきたい。どちらの本でも、単に結論を知るだけではなく拡がりを理解しようとすると、爽快な知的体験ができるはずである。

 

ダニエル・カーネマン心理と経済を語る

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 ちなみに、ノーベル賞の授賞理由は「心理学を経済学に統合した」であるとは言え、自伝によればカーネマンは経済学の授業を一度も受けたことがないそうである。もちろん何と呼ばれるかは二次的な話で、中身がおもしろければそれでよいのであるが、洞察力に富んだ研究はやはり既存の分野にはおさまらないということだろう。

 

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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 『ファスト&スロー』では付録として、カーネマン/トヴェルスキーによる二つの論文、「不確実性下における判断─ヒューリスティクスとバイアス」と「選択、価値、フレーム」も訳出されている。またきわめて珍しいことに、なぜか上巻と下巻の両方に上下巻をつらぬく索引がついている。


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