フリー哲学者ネコナガのブログ

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狂人・奇人・変人

 「狂人」という言葉がある。一方、「奇人」もあれば「変人」もあるだろう。任意に選んだが、このように並べてみると、どうも「変人」というのが最も一般的である。実際、「変人」は最も一時的な状態に過ぎないようなニュアンスがある。明日になったら変人ではなくなるということもありうる。

 

 では、「狂人」「奇人」はどうか。「狂人」については、G・K・チェスタートンの『正統とは何か』にある有名な言葉を思い出せば十分であろう。いわく、狂人とは理性を失った人ではなく、理性以外のあらゆる物を失った人である。巧みな表現だが、少し考えてみればこれは正論であると言える。

 

 一方「奇人」については、カリエールとベシュテルの『万国奇人博覧館』によれば、「一度に葉巻を十本、鼻の穴に突っ込んで吸うことがあっても、それはただの座興でしかない」が、それが「習慣と化し、それ以外のやり方では葉巻が吸えなくなったとき」その人は奇人となる。こちらも鮮やかである。

 

 さて、一通り確認したところで、これらをどうにか比べてみるのがありがちな進行であろう。とは言え、単なる印象以上の比較はできそうもない。唯一共通するのは「普通ではない」という含みを持つことだが、それなら、いかなる意味で普通でないかを述べた時点で、共通の土台は失われるからである。

 

 もっとも、逆に言えば、つまり「普通」は一面的ではない。少なくとも、それぞれ「狂人ではない」「奇人ではない」「変人ではない」という意味での普通があることになるだろう。つまり、「狂人」「奇人」「変人」のうち、あてはまるのが二つ以下なら同時に「普通」でありうるということである。

 

 ここからわかるのは、実は「普通ではない」ということを表すラベルを増やすほど、「普通」でありたい人はむしろ苦労するということである。お望みなら、あらゆる意味で「普通」である人に「パーフェクト普通賞」が与えられるが、新たな「普通ではなさ」を定義するほど、受賞するのは難しくなる。

 

 もっとも、おそらくパーフェクト普通賞の受賞者は現れない。人は互いにラベルを貼り合うが、誰もが自分は「普通」であると思いつつ、他人から見れば「普通」ではないからである。こうして「狂人」「奇人」「変人」「普通の人」は全て、単に「人である」という共通認識へと、結局は還ることになる。

 

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