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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

「サルでもわかる」について

 「サルでもわかる」あるいは「サルにもわかる」というのは、何かのタイトルの一部としてよく見かける言葉である。これは、意味としては「バカにもわかる」のことだと言って反対する人はまずいないだろう。

 

 もっとも、それならサルがバカであるなどと誰が言ったのか。「サルでもわかる」というのは、明らかに「サルはバカである」ということを前提にした表現である。しかし、サルがバカだというのは偏見であろう。

 

 「サルはバカだ」という発想は、詳しく調べたわけではないが、おそらくは進化論の誤解に由来するものである。つまり、ヒトはサルから「進化」したのだから、サルがヒトに比較してバカなのは当たり前である。

 

 このように主張する人がいたら、その人が「進化」という言葉および進化論を、致命的な形で誤解しているのは明らかだろう。ここでは進化論を説明することはしないが、ともかくこれは初歩的な間違いである。

 

 このことをより強烈に表現するには、例えば『サルでもわかる進化論』といったタイトルを思い浮かべてみればよい。これは、矛盾でなければ無暗に混乱させる冗談であり、悪いタイトルの典型だと言えるだろう。

 

 どうしても「サル」を引き合いに出したければ、可能な方法がないわけではない。例えば、「サルにはわからない」とすることである。サルが本を読んで理解したという話はまだないから、これなら正確である。

 

 もっとも、「サルにはわからない」というのは、見方によっては、依然としてサルをバカにしているような含みがあることに変わりはない。したがって、もはや「サル」という言葉そのものを削った方が賢明であろう。

 

 それなら、もっと正確に「ヒトにはわかる」としてはどうか。元より著者はヒトが読んでわかるように書いたのであろうから、ヒトが読んでわかるのは当然である。したがって、これなら間違いはないと言える。

 

 もっとも、これは端的に冗長であり、明らかに何も情報を付加していない。その意味では「読んだらわかる」と言うのとほとんど同じであり、ここまで来ると、誰もが「当たり前だ」と言うことは容易に想像される。

 

 あるいは、「ヒトにはわかる」とすると問題も出てくる。それは、ヒトなのに読んでもわからなかったという人に、意図しないダメージを与えることである。これについては「サルでもわかる」の場合と変わりはない。

 

 さて、こうなると最も穏当なのは、もはや「わかるヒトにはわかる」と言うことであろう。これなら何も問題はない。もっともこれは、無害ではあるが有益でもなく、意味もわからないから、どう考えてもボツである。

 

サル:その歴史・文化・生態

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