フリー哲学者ネコナガのブログ

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なぜいろいろなものが見出されるのか─パターン認識と複雑性

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 人間の脳が持つ基本的な、しかし奥深い機能の一つに「パターン認識」がある。こうした能力を誰もが当然のものとして備えているのはもちろん、人類が生き延びるために必要だったからであるが、つまりこの能力は生存に役に立つから進化してきたという類のものである。だからこれがないと逆に生活するのが難しいわけだが、その意味ではわれわれは誰もがパターンによって物事を認識することに「とりつかれている」。

 要するに、周囲の世界をなるべく素早くかつエネルギーを使わずに認識するには、すでに認識したことのあるものを「記憶」に蓄えておいて、それとのマッチング作業をやる方が、いちいち一から認識するよりも効率がいい。これは食べ物だとか、あれは天敵だとか、そういうことをもたもた処理していられるほど自然界はおだやかではない。だから見た瞬間にわかるようなメカニズムができあがっているのである。

 

 もちろん、本人がどんなパターンを蓄えているかは広い意味での「学習」に根差しているから、同じものを見ても人によって見えるものは異なるが(本人の志向性にもよるが、これについては省略)、いずれにしてもわれわれは、知っているものしか認識できない。そして、知らないものは認識できないか、知っているものとして認識しようとするのである(マッチングの基準それ自体はかなりファジーなようである)。

 

 ところで、いくつものパターンにマッチしてしまうという場合もある。例えば、騙し絵というものがある。トリックアートの一部にもあるが、心理学で有名なのはルビンの壺とかジャストローのアヒルとウサギの絵である。同じ絵でもそれぞれ、前者は向かい合った人の顔にも壺にも見えて、後者は左向きのアヒルにも右向きのウサギにも見えるというものだ。これもパターン認識機能の外しがたさを示しているだろう。同時に両方は見えないし、中間のものも見えないからである。

 もっとも、こうした騙し絵はあくまでも、このような人間の性質に気づいた人たちが意図的に作ったものである。確かに二つ以上のものに見えるが、何として見られうるかは事前に設計されている。それなら、何に見えるかが意図されないで描かれたものについてはどうなのか。前置きが長くなったが、これに関するおもしろい研究が流れていたので触れておきたい。オレゴン大学のリチャード・テイラーらによる研究である(Fractal secrets of Rorschach's famed ink blots revealed)。

 

 同研究で注目されているのは、いわゆる「ロールシャッハテスト」で使われる図形である。ロールシャッハテストとは1921年にロールシャッハが精神医学的な診断で自作の絵を使ったのが始まりだが、要するに、紙にインクを垂らして二つに折ることでできあがったランダムな絵を見せて「何に見えるか」を問い、その反応から心理状態を推測しようという発想である(この方法論がどこまで有効かは絶えず議論されている)。

 つまり、この際に使われる言わば「意図なき絵」が、まさに「ランダムなイメージの中にパターンを見出す」ような人間の脳の性質を探るのにうってつけだったわけである。今回の研究ではロールシャッハの絵を「フラクタル」を切り口に分析しているのだが、これによってある種の「複雑さ」と「あるイメージの中にどれほどパターンを見出しやすいか」に関係があることがわかったということである。順番に見てみる。

 

 まず「フラクタル」とは、マンデルブロが言い出した概念だが、簡単にいえば自己相似性をもつ形のことである。別の表現をすれば「『あらゆるスケールで微細な構造を持つ』幾何学形状」(メラニー・ミッチェル『複雑系の世界』)となるが、いずれにしても部分を拡大すると全体と同じような形になるということで、自然界にも数多見出されるとされているものだ(「同じような」というのは、相似という意味では「同じ」と言うべきだが、理論的に純粋な意味での自己相似は自然界には存在しないからである)。

 マンデルブロ本人が挙げているのは海岸線の例だが、海岸線は、海岸に立って見てみても、目を凝らして近くで見ても、あるいは遠く離れて飛行機から見ても、要はスケールが違っても「同じくらいギザギザ」している。つまり自己相似的なのだが、実は海岸線が絶対に正確に測定できないのもこのためである。例えば測定に1メートルのものさしを使うとすると、1メートル以下のギザギザはすべて無視されて実際より短くなってしまうが、それなら1センチ単位にするかといえば、同じ問題は果てしなく続くのである(理論上は)。精密に測ろうとすればするほど長さが伸びる。

 あるいは木の形もよく取り上げられるが、一見してわかるように木というのは一つの枝に注目するとそれ自体が一つの木のような形をしている。さらに枝の枝も木のようだということで、やはり自己相似的である。これは、実は木の成長における規則がものすごく単純であることを表している(例えば「『伸びて分岐する』を繰り返せ」)。実際は他の物事との関係、例えば重力や風の影響があるから唯一無二のそれぞれの木の形ができているが、基本は自己相似なのである(ちなみにCGで「自然な」背景などを描けるのもこうした数学的発見のおかげである)。

 

 さて、次にフラクタルには「次元」という考え方があるのだが(Dで表す)、これを使えばギザギザを数値化することができる。要するに「粗さの尺度」だが、絵の「複雑さ」をある意味ではかることができるわけである。今回のロールシャッハの絵ではいずれも一次元の直線と二次元の平面の間にあるのでDは1.0から2.0の範囲となるが(つまりフラクタル次元の次元数は整数ではない)、これによれば、実験に使われた5枚の絵はD=1.1-1.3の範囲にあるらしい。これは相対的に低い複雑性である。

 ようやく本題だが、ここでそれぞれの絵のDの値と、過去に行われた膨大なロールシャッハテストの記録をつき合わせたというのがポイントである。その結果、どうも「Dが増えるほど見出されるイメージの数が減少する」ということがわかったらしい。つまり、絵の複雑性が上がるほど、認識されうるパターンの数は減るのである。一応、自然界で見られるフラクタルの複雑性ではD≒1.3-1.5だということで、つまり脳はこのレンジに最も適応しているはずだから、これは本人も驚きの結果だということだ。

 さらに、ロールシャッハの絵の左右対称性や陰影など別の要因が結果に影響を与えている可能性も考慮して、コンピュータで生成した「複雑性だけが異なる」24枚の画像(D=1.05-1.95)について、被験者23人にそれぞれの絵を10秒ずつ見せ、見出したものをすべて書き出してもらうということもやったが、結果はやはり「複雑性が上がるほど見出されるものの数は減少する」ということで、D=1.1の時に見出されたイメージが最も多かったということだ。シンプルすぎないでちょっと複雑というくらいである。

 

 「何がおもしろいんだ」と思う人もいるかもしれないが、要するに、D値を算出すればある図形がどれほど多様に解釈されうるかということがわかるし、逆にロールシャッハの場合のようになるべく多様に解釈されうるものを作りたければ、複雑性を適切な範囲に収めればよいということだ。そもそも元々のロールシャッハの絵が最もいろいろなものが見出されるような最適な数学的構造を持っていたことも驚きだが、ともかく「人間が解釈を与えやすい複雑さ」というものがあるということである。

 あるいは、フラクタルと言えばジャクソン・ポロックの抽象画も例に挙げられるが(ポロックの絵も、一部を切り取って全体と同じサイズに引き伸ばしても複雑性が保たれる)、上の研究を行ったテイラー氏の別の研究によれば、ポロックは複雑性を直感的にコントロールしていたと考えられるそうである。というのも、ポロックは自分の絵画が何か具体的なものに見られるのを嫌っていたが、年代を追うごとにちゃんとD値が上がっているからである。こんな分析ができるというのもおもしろいではないか。

 

Jackson Pollock

Jackson Pollock

 

 ポロックは名前よりも絵でピンと来る人の方が多いかもしれないが、こんな感じ。もっと大きいサイズで見たほうがいいが。ちなみに『素数の音楽』等でおなじみマーカス・デュ・ソートイの『Code』というドキュメンタリーシリーズでもフラクタルの話題の時にポロックを取り上げていて、本人の家も訪れていたのだが、家の床も結果的にこんな感じになっていた。そして実はテイラー氏も同番組に出演していたのだが、ポロック風の絵を描くアナログな装置まで紹介されていたので、興味のある人はぜひ。


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