フリー哲学者ネコナガのブログ

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動物の情動や表情と情動の関係など─「情動」とは何か

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 ネズミの「幸福感」を外から知る指標の一つとして「表情」、具体的には耳の赤くなり具合を見る、という方法があるかもしれないことがわかったらしい。もちろんまだハッキリしたことを言うのは難しいのであろうが、動物認知(animal cognition)の研究は今後ますますおもしろいテーマが出てきそうである。

 

 記事によれば、これまでは「痛み」に関するネズミの「表情」についてはかなり細かいことまでわかっていたが、ポジティブな面でのこうした表出を捉えたかもしれないのは今回が初めてということらしい。とりあえず「くすぐる」という方法はどうなんだなどはさておき、ネズミの反応には個体差まであったとのことである。

 もちろん、いろいろ擬人化が過ぎるのではないかと思う人もいるだろう。このブログでも以前に「人間以外の動物に「意識」はあるのか─動物の心がわかるか」で動物の内面の研究についてはかなり大きな障壁があるということを紹介したが、他種の動物を研究するというのは独特の困難がつきまとうところがあるのは事実である。

 もっとも、これなどは「情動」がキーワードであるから、行動主義的なモデル(中で起きていることは無視して、入力と出力の関係だけをみる)でも行えるし(逆に言えば、今のところは動物に対してはそれくらいしか行えない)、比較的「無謀さ」が少ないアプローチだろう。情動というのは、かなり本能的なものだからである。

 

 そもそも、記事ではあまり区別されていないが、「情動(emotion)」というのは「感情(feeling)」とはまったく異なるものだ。情動は「motion」という言葉が入っているように「行為に駆り立てる」ようなもので、かなり反射的・無意識的な側面がある。一方で感情は個人的な解釈を含む、もっと高次での認知機能に基づくものだ。

 この区別を強調しているのはニコ・フライダという心理学者だが、重要なのは、「感情」があくまでも起こった出来事に対する「解釈」である以上、意識的にコントロールできるものなのに対して、「情動」にはおそらく生得性があるということだ。つまり情動の方は「生存戦略」の一環として遺伝子に書き込まれている類のものなのである。

 したがって、「感情」ならばたとえ人間同士であっても外から知るのは難しいし、他の動物については前に書いたように不可能とさえ言えるのだが、情動ならば比較的物理レベルに近いから、それなりに客観的な説明ができる可能性があるということである。実際、表情と情動の関係を見るだけなら、それほど内面に踏み込む必要もない。

 

 さて、情動と表情の関係となると、先駆的研究はやはりダーウィンだったのだが(『人及び動物の表情について』)、今日的に言えばポール・エクマンが有名だ(『表情分析入門』『顔は口ほどに嘘をつく』など)。当初はこの研究は人類学者が行ったもので、そこでは各文化や社会によって感情(情動)の表現の方法は違うとされていた。

 しかし心理学者たちが反論し始めて、最終的に覆したのがエクマンだと言えるだろう。エクマンによれば、少なくとも基本的な情動については、表情との普遍的な結びつきがある。実験は、欧米人の顔を見たことがないニューギニア人に特定の情動を誘発するストーリーをきかせて、対応する表情(写真)を選んでもらうというものだった。

 結果、文化的・社会的背景が異なるにもかかわらず、欧米人にとっての例えば怒っている表情とニューギニア人にとってのそれは非常に高い確率で一致した。反対にニューギニア人の表情をアメリカ人の学生にも見せたが、逆もまた然りであった。つまり、怒っている人はたぶん世界中どこに行っても怒っている人とみなされるのである。

 一応、エクマンがベーシックとして結論付けたのは「happy」「sad」「fear」「anger」「surprise」「disgust」の6つである。訳はいろいろあるだろうが、さしあたり幸福、悲しみ、恐れ、怒り、驚き、嫌悪となる。こうした「情動」は「感情」と違って即座に、人間の場合は特に表情に現れ、また見ている人にも即座に伝わるものだ。

 したがって受けとる側にも対応するものがあるはずだが、実際にこうした特定の表情認知にかかわる特定の脳部位も発見されている。あるいは神経伝達物質やホルモンレベルも含めるとすでにかなりの説明が可能だが、情動と神経科学レベルでの機能のこうした結びつきを他の動物についても見ていくというのは、とても興味深いものがある。

 実際、記事にもあるように、今や哺乳類レベルでの何らかの共通性までも議論され始めているということらしい。確かに、分類学的に近い種ほど共通の祖先から分かれた時期が比較的後で、それまでの進化の歴史を共有している度合いが高いわけだから、情動の表出のように生物学的な基盤をもつものについてなら関係は十分ありうるだろう。

 

 ちなみにだが、「情動」は今後の一つのフロンティアとしてものすごくおもしろいテーマである。よく引用されるアントニオ・ダマシオの研究(『デカルトの誤り』など)でも知られているように、情動というのは悪い意味で原始的なものではなく、今でも少なくとも人間にとっては相当に重要な機能であるということがわかっている。

 そしてもう一つわかってきているのは、実は今はやりの「人工知能」がいつまでたってもあまりにもバカだと言われているのは、人間における認知のこのあたりの側面を無視しているからではないかということである。つまり、実は「知能」というものが、他とは切り離せないものすごく包括的に生じる能力であることがわかってしまった。

 本職の研究者はまだ「人工知能」ができたなどとは誰も言っていないが、要は人工知能研究が行き詰ってしまったのは、人間の知能について進化的に最も新しい側面だけに注目しすぎたからだということだ。その意味で、今のモデルのまま研究を重ねるなら、人工知能の進化はおそらく、人類の進化の歴史を逆向きにたどることになるのである。

 

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