フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセーです。

他の動物が道具を使うのを見た人間が人間について考えたと考えられること

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 上の動画は、ハワイにいる珍しいカラスが道具を使っているところである。最近発表された論文(http://www.nature.com/nature/journal/v537/n7620/full/nature19103.html)に関連する動画だが、ここではその研究の詳細は脇に置くとして、ともかく「カラスが道具を使う」という事実に注目してみたい。

 

 人間以外の動物が「道具を使う」ということ自体は、もはや珍しくも何ともないと言えるだろう(ニュースでは相変わらず「人間だけではなかった」と言うのであるが)。ジェーン・グドールがチンパンジーの道具使用を報告して以来、道具を用いるのが人間に特有の性質ではないことは今や常識である。カラスの道具使用にしても、ここでのハワイガラスは、カレドニアガラスに次いで二例目であるらしい。

 もっとも、だから「人間だけが道具を使う」というのが根本的に間違っているかと言えば、そんなこともないだろう。確かに、広義では他の動物も「道具を使っている」と言えるかもしれないが、人間が道具を使っているのと同じような意味で「道具を使っている」と言えるかというと、かなり疑問である(一応言っておくと、人間が優れているとかそういう話ではなくて、科学的な興味の話である)。

 そもそも、まずカラスやチンパンジーが使っている単純な木の棒などと違って、人間が使う道具はもっと複雑で多彩である。つまり、一口に「道具」と言ってもどの程度の知能を必要としそうな「道具」かは別の話である。あるいは、使うことと作ることも区別せねばならないし、局所的な使用か、それとも広範に共有されているのか、さらには世代を超えて受け継がれているのか等々、細かく区別すべき点はいろいろある。

 したがって総合的に比較するのは簡単ではないが、とは言っても「人間と他の動物を分かつ点は何か」と問うなら、一つの説明はすでにある。結論から言えば、「道具を使う動物は他にもいるが、道具を作るために道具を使うのは人間だけである」というものである(あるいは「道具と道具を組み合わせて新たな道具を作るのは人間だけである」)。

 これは、「道具のための道具」という点で入れ子構造になっているが、実はこの入れ子構造を生み出す側面こそ、数多くの「人間に特有のもの」を生み出している一つの重要な能力だと考えられるのである。専門的には「再帰性(recursion)」という(簡潔な定義は「自身を呼び出す手続き」または「自身と同じ構造を要素に持つ構造」)。ともかく、「再帰的な情報処理を行う能力」が、人間の脳にはあるらしいのである。

 

 「再帰性」については、当初は「言語」に関する研究において言われ始めたのだが、さしあたり押さえておくべきなのは、「人間の言語を他の動物のコミュニケーションシステムから分かつものは、再帰性の存在である」という有名な主張である。これは、議論もあるが、今のところ確からしい。

 例として、この記事のタイトルは再帰的だが、文にすると「これは、他の動物が道具を使うのを見た人間が人間について考えたと考えられることである。」となる。これは「これは、(私によって)考えられることである。」という文に「人間が、人間について考えた。」という文、さらにそこに「人間が、他の動物が道具を使うのを見た。」という文が「埋め込まれている(embedded)」と考えることができる(日本語は主語を省略したり語順が任意であったりするのでわかりづらいが、以前の記事で英語の簡単な例を挙げたので参考までに「いちばん長い英単語と「再帰性」」)。要するに、「主語─動詞」という構造の中に他の「主語─動詞」が埋め込まれている。

 もちろん、この埋め込み作業は時間の許す限りどれほどやっても構わない。そして、理論上は無限に続けることができるのである。ともかくこうした原理を基本的構成要素として備えているという点で、人間の言語は特殊なのだ(チョムスキーについての記事も参照)。人間は、有限の要素から理論上無限の長さの文を生み出せる。他の動物では、例えばチンパンジーに人間の言語を教えても、どうやっても単語の羅列にしかならず、再帰的な側面を含む、きちんとした構造を持つ文というものは作れないのである。

 

 さて、それなら「言語」というよりも、そうしたものを生み出すような人間の脳における情報処理の構造一般に「再帰性」が備わっているのではないかと考えることができるが、実際にそれを裏付けていそうな実験結果は少なくないのである。要するに、再帰性は人間の脳そのものが持つ性質のようなのだ(言語におけるそれは、その一つの現れに過ぎないということである)。

 例えば、「心の理論(theory of mind)」という概念がある。これは、自分ではない他の個体が自分と同じように意図や目的を持っているのがわかるかという問題である。平たく言えば、相手が思っていることや考えていること「について」思ったり考えたりすることだが(つまり再帰的なのだが)、チンパンジーではどうもこれは、一段階しか進めないようなのである。つまり、相手が思っていることについて思ってはいるかもしれないが、その「相手が思っていることについて思っている自分」について相手が思っていること、については思い至らないようなのである。

 あるいは「記憶」のはたらきについてもそうで、人間は「エピソード記憶」なるものを持つ、つまり単なる知識ではなく「体感」そのものを呼び覚ますような個人的な記憶を多く蓄えているが、思い出す時には「過去」を「現在」の一部として「埋め込んで」いるから、やはり再帰性が絡んでいる。他の動物では、例えばエサをとってきてすぐには食べず、特定の場所に置いておいてだいぶ経ってから食べる鳥がいるが、それは「ここにある」という場所を知識として覚えているだけで、どうも「自分がここに置いた」ということ自体を記憶しているわけではないらしい(解釈は分かれるが)。

 

 こうしてみれば、冒頭で挙げた「道具の使用」の差についてもまあ納得であろう。他の動物にはおそらく、再帰的な情報処理を行う能力が備わっていないために、さらなる道具のために道具を、という発想は出てきそうもないのである。再帰性が人間の認知機構になぜ備わったかは別として、「人間的ないろいろ」を説明するのに再帰性がカギを握っているという仮説には、興味深いものがあるだろう。

 もっとも、どんな動物であれ、自然の中での行動と人間の保護下での行動は質的に異なりうるし(ちなみに、最初に挙げたハワイガラスは野生では絶滅しており、道具使用が観察されたのは飼育下での話である)、特定の環境に置けば野生では行わないこともいろいろとやり始める動物もいるかもしれないから、こうした探究ではチョムスキーが言語の研究で行ったように「能力(competence)」と「運用(performance)」を厳密に区別する必要があるだろう。つまり、「行えるかどうか」と「行っているかどうか」は別の問題である。

 あるいは、こうした探究を行っているのは常に人間だから、人間の視点から知りえることしか知りえないではないか、という問題もあるが(つまり、基準をどこにおいて差異や同一性を語ればいいのかわからない)、そのあたりについては長くなってきたのでまたの機会に触れてみることにしたい。

 

人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線

人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線

  • 作者: マイケル・S.ガザニガ,Michael S. Gazzaniga,柴田裕之
  • 出版社/メーカー: インターシフト
  • 発売日: 2010/02
  • メディア: 単行本
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 いちいち具体的に書かなかったが、人間性の多くの側面について、個別の論点を網羅的に紹介しているものとしては本書がおすすめ。そういえばガザニガは今年、自伝『右脳と左脳を見つけた男』の邦訳が出ていたが、日本での本のタイトルの商業主義はもう仕方がないが、さすがに自伝にこんなドヤ題をつけるのはやめてあげたらどうだろうか。

 

The Recursive Mind: The Origins of Human Language, Thought, and Civilization

The Recursive Mind: The Origins of Human Language, Thought, and Civilization

 

 「再帰性」については特化した本はあまりないが、とりあえず本書は抜群のおもしろさ。邦訳されていないが、文章は読みやすいので普段は洋書を読まない人もどうぞ。コーバリスの邦訳は『言葉は身振りから進化した』があるが、そちらは進化心理学的アプローチで言語の発生過程を再構築している刺戟的な一冊。あと、ジョークがものすごく多い。


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