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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

書店空間のかくれた次元─何が繰り広げられているのか

 書店で、自分が見たい棚の前に(もっと言えば自分が立ちたい場所に)別の誰かが立っていて(もちろんあちらも立っているだけでなく本をみているのだが)、どうアプローチしようかとちょっと困ったことはありませんか。

 まあ、もともと目当ての本がある場合はそれだけを後ろなり横なりから探して、典型的日本人風に「すみません」とか、あるいは紳士風に「失礼」とか言ってさっと一冊抜けばいいのだが、そうではなく、もっとざっくり見たい場合である。

 他に見たい棚があるなら先にそちらに行けばいいが(ただし混雑しているとどこでも同じことになる)、さもなければ、あまり遠すぎない周辺の棚を見つつ(ここがポイント)、私もそこが目当てです、という雰囲気を醸し出すことだろう。

 まあ、そんなに時間的余裕がない時は意を決してそれなりに力づくでいくしかないが、社会性のある大人としては、ぐいぐい自己主張するより、相手も目的があってそこに立っているわけだから、お互いに尊重すべきであろう。

 もっとも、逆に相手がこちらの存在を少しも意に介していない場合は、常にいくらか面倒なことになると言えるだろう。このような場合はたいてい、こちらの意図を伝えるまでにむやみに時間がかかる。

 いちばん面倒なのは、立ち読みを始めて完全に一人の世界に入ってしまって、客観的に見ると石のようになっている人である。本がおもしろいのはわかるが、他人を無視するほどであればさっさと本を買って退散すべきだろう。

 これの何が面倒かというと、ひとたびそれなりに接近すると、きちんと動物本能を働かせて「敵が来た!」と認知することである。いやこちらも一人の客であって、ちょっと場所を譲ってほしいだけである。しかし、相手からすれば領域侵犯らしい。

 こうしてあまりにも頑なに動かない場合、こちらもこちらで、その人がいないものとしてふるまい始める。しかし、そうは言ってもやはり物理的には一定の空間を占有しているから、邪魔は邪魔である。おかげで仕方なく、その人の横から棚を覗き込む。

 すると、別の問題が生じる。自分が見られていると思って、「何か用か」という視線を送ってくるのである。ここでは、唯一すべての客が共有しているであろう、本を見にきたという前提まで疑われてしまう。いや私は、あんたじゃなくて本が見たいんだ。

 

 さて、エドワード・ホールの『かくれた次元』というかくれた名著がある。ホールは「proxemics (近接学)」ということを言い出した人類学者だが、簡単にいえば、人間の心理状態や行動は、文化的背景を含む「空間体験」にあるていど規定されている、ということを論じた本である。

 ホールはまず、ヘディガーの動物園生物学(これについては以前に触れたことがある「ドローンは野性動物にとってストレス源となるか」)の成果を参照しつつ、あらゆる生物と同じく人間にも、目に見えないとはいえ、解剖学的特徴と同じように進化してきた「距離感覚」があることを指摘する。

 要するに、「自己」というものは、体の外にまで伸びているのである。どんな生物も見えない泡をまとっており、その領域を侵されると、自己が侵犯されたと感じる。ホールによれば、したがってマルサスの『人口論』は不十分である。生物は、食糧だけでなく空間、それも個体ごとに心地よい一定のスペースを必要とするからである。

 ホールはまた、空間把握がかならず「感覚」に依存することも強調している。本文では言及されていないにしても、これはユクスキュルの環世界論(『生物から見た世界』)を人類学に応用したものだとみることができる。つまり、人間にも種に固有の世界があり、それは解釈の違いではなく、認識そのものの違いなのである。

 もっとも、ホールによれば、人間は一方で「文化」を持っている。そして文化によっても感覚の使い方は異なる。したがって、「異なる文化に属する人々は、ちがう感覚世界に住んでいる」。こうして比較文化論が展開されるが、哲学的な風土論(たとえば和辻哲郎『風土』)と異なるのは、生物学的根拠を持ち込んでいるところだろう。

 とは言え、ホールの眼目は結局、実践的なところにある。つまり、互いに大きく異なる「感覚世界」に住んでいるであろう雑多な人々が集まる「都市」、それも十分な空間が確保されていないそこにおいては、むやみに対立が増えて当然だということである。したがって建築物の設計や都市計画には、かくれた次元への配慮が必要となる。

 

 以上がさしあたり要約だが、そこで考えてみれば、書店という空間も「かくれた次元」についてはまったくと言ってよいほど気を配っていないことがわかるだろう。だからこそ最初に描いたような問題も生じるのであり、長い目で見れば、ひょっとすると売上という意味でも失っているものは大きいのではなかろうか。

 というのも、書店体験において重要なのは(1)自由に動き回って本を探せること、そして(2)本の中身を読んでみられることであろうが、この点を考えると多くの書店は、およそ最適化とは程遠い状態にあると言えそうだからである(ちなみにホールによれば、その空間でどれほど自由に行動できるかが「居心地」を決める)。

 まず(1)自由に動き回って本を探せるかという話であるが、そもそも客の数が多い場合は、そのこと自体は操作できないにしても、「どんな本にどれほど人が集まりそうか」を考えて、本の配置と店内の空間構成に気を配ることはできるであろう(この当たり前のことが意外となされていないように思われるのである)。

 つまり、書店側はたとえば「注目してもらいたい本」を「目につく場所に置く」かもしれないが、そうして作った空間に実際に客が入ったところは、たいして想像されていないようである。実際、目につくところと言えば入口付近や主要な通路沿いだが、そこに人が集まるとなると、どう考えても第一に混雑を生む。とても自由には動けない。

 あるいは、棚と棚の間隔、つまり書店内での「脇道」にあたる通路の幅も、あわせて考慮に入れねばならないだろう。というのも、おそらく多くの人の感覚では、立っている通路自体が狭い場合は近くに人がいても比較的気にならないが、空間は広いにもかかわらず人の距離が近くなるような場合は、居心地の悪さが増幅されるからである。

 これらを考え合わせると、書店内での本および棚の配置という意味では、(A)人が多く集まりそうな本を並べるには主要な通路沿いを避けよ、および(B)空間を広く取るよりは棚を多く配置して客を分散させよ、という二つの規則に従っておくのが妥当だろう(こうした配慮がただちに「本末転倒」とは言えないことは後ほど説明する)。

 実際、これらの原則に鑑みると、少なくとも私が「居心地の良さ」と「悪さ」をそれぞれ感じる書店(ここでは、各大型書店を念頭に置いている)の違いは説明することができる。また、これは単に「物理的な」空間構成の話だが、ホールがやっているように、人間の知覚の性質にも注目すると、さらに多くを考えることもできる。

 たとえば、視覚的ノイズの問題がある。実は、文字通りあまり注目されないが、われわれは決して視野の中心だけを重視しているわけではない(そうでなければ、視野が広い意味がない)。実際は視野の端の方に映るものに意外と敏感に反応するし、それどころか、実は周辺視野で認識した「動き」はむしろ増幅されることが知られている。

 つまり、棚を前にして本が並んでいるのをみていても、実際は視野の一部、とりわけ周辺部に「動くもの」があると、どうしてもそちらに反応しやすく、文字通り「目の前」のことに集中しづらいということである。それなら、単に店内の動きやすさだけではなく、本を読んでみている時の視覚的な「風景」も考慮せねばならなくなる。

 いちばんいいのは、一時的にノイズレスな空間を確保できるように、書棚によって視界を遮ることだろう。つまり、高さも含めた空間全体で、なるべく見通しが悪くなるような配置を考える。周辺視野に「動き」が映る可能性を下げるわけである。実際、書棚の高さや大きさというのも実は「居心地」にかなりの影響を与えているはずである。

 その意味で(2)本の中身を読んでみられることについて言えば、重要なのは「それぞれの場所からみて」ノイズの少ない環境をつくることだと言えるだろう。これは一見すると(1)自由に動き回れることと矛盾するが、実際はそちらが二次的なのであって、書店においてはむしろこちらの方が重要かもしれないのである。

 というのも、多くの人は書店において、本を「見る」だけでなく「読んで」みたいからである。ここで「本を読む」というのが単に視覚的な作業ではないというのがポイントだが、つまり本を読むときには、言語という特殊な感覚入力を通して、その本が生み出している「仮想空間」にアクセスしなければならない。

 したがって、本を「読んでみる」ためには、五感が優位になるような物理的な空間への意識を相対的に弱めねばならないが、そこで重要となるのが「居心地」なのである。一般的にいって、われわれはリラックスした状態でなければ「仮想空間」に臨場感を持つことができない。つまり、五感をそれほど使わなくてよい環境にいる必要がある。

 ともかく、書店にもよるが、場合によっては「居心地」にこそ気を配った方がよさそうなのはそのためである。実際、やってみるとよいが、居心地のいい書店と悪い書店では、同じ本を読んでいても「読み取ること」がまったく違っていることがわかるだろう。それは、どれほど頭を働かせられるかが環境によって違うということである。

 それなら、あるいは「快適に中身を読める環境」に気を配った方が、結果的には売上につながるかもしれないだろう。中身に興味をもってこそ買うからである。実際、ブックカフェが流行っているのはそのためだろうが、ポイントは居心地なのである。逆にいえば、そうした環境がないことは、実は大きな損失を生んでいるかもしれないだろう。

 

かくれた次元

かくれた次元

 

 

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