フリー哲学者ネコナガのブログ

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イースター島の歴史が人々の愚かさによる崩壊の歴史だと言う人と、そんなはずはない、もっといろんなストーリーがつまった歴史だと言う人の議論の歴史

nekonaga.hatenablog.com

 先日イースター島のことを少し書いたが、そのあとScience Newsからイースター島に関する新研究論文があるとニュースが流れてきた。先日の記事でも登場したカール・リポ教授が、考古学の論文誌「Antiquity」上で最新の研究成果を発表していたらしい。今回はこの話題に触れてみよう。

www.sciencenews.org

 初めに、これまで言われていたイースター島の歴史をかなりざっくりまとめておこう。まず、本当に最初にイースター島に人が上陸したのは600年~900年のどこからしい。とは言え、先日の記事で登場した考古学者テリー・ハントとカール・リポ両教授によれば1200年頃らしいから、要するに確からしい結論には至っていない。「だいたい千年前」というのが妥当な書き方かもしれない。

 一方、それなりにはっきりしたことが言える最初は、1722年である。この年、オランダ人探検家のヤコブ・ロッヘフェーンがヨーロッパ人として初めてイースター島に到達する。その時の記録が、現在われわれが読める文字での、イースター島に関する最初の記録である(もしかしたら、未解読のロンゴロンゴ文字に何か記されているかもしれないから、こういう表現になる)。そして彼の記述によれば、少なくとも多くのモアイが「立っていた」(これがポイント)。

 ところが、内側から見れば、この頃はちょうど社会崩壊の危機の時代であったらしい。理由は定かではないが、森林破壊はかなり進んでおり、人口が増えたとみられることもあって、とにかく食糧不足だったようである(木がないから、釣竿やカヌーが造れず、海からも食糧が獲れない)。そして、おそらく残された資源を巡って闘争が勃発、部族間でお互いのモアイを倒し合うことになったとされる。

 時は過ぎて1774年、イギリス人探検家ジェームズ・クックが島を訪れた時には、多くのモアイが倒され、破壊されていたという。つまり、西暦で1722~1774年の約半世紀の間のどこかで、モアイ戦争(と呼ばれている)が始まっていた。そして、気づいた時には森林破壊や戦争とともに、小さな島の中で社会ごと崩壊していたというわけだ。とりあえず、イースター島の歴史はこんな感じで理解されていた。

 

 もっとも、ここまでの話でわかるように、これは、かなり断片的な記録に基づく推測の集まりである。つまり、あくまでも一つのストーリーに過ぎない(ちなみに、英語ではhistoryとstoryは別の言葉だが、これはどちらも仏語の「histoire」からきている。仏語の兄弟にあたる伊語、西語、あるいはそれらの親にあたるラテン語では、いずれもhistoryとstoryは同じ言葉で表される)。

 もちろん、物証や文字記録に限らず、イースター島民自身の口伝も参照されうるし、現に参照されてもいる。しかし、どちらにしても今ではその時を見ることはできないし、実証的なデータが少ないほど不確実度は上がるから、こうした推測がどれほど史実とかけ離れていてもおかしくはないわけである。実際、イースター島史研究では、全く異なる諸説が入り乱れてきたと言える。

 

 で、今回のニュースである。結論から言えば、上に書いたストーリーとはかなり違っていて、「戦争で崩壊したというのは間違っているんじゃないか」というのがリポ教授の主張のようである。もっとも「戦争で崩壊したのではない」という説自体は無かったわけではないので、それを裏付ける証拠の一つとして、「マタア」と呼ばれる先の尖った手のひらサイズの「武器」を新たに検証したのが今回のポイントである。

 Ars Technicaの記事によると(New evidence: Easter Island civilization was not destroyed by war)、検証に使ったのは「楕円フーリエ変換」(elliptical Fourier analysis)という手法である。これは植物の分類等でも活躍している手法で、定性的データを定量的データに変換するものだ。要するに、「とがっている」とか「なめらか」とかいった曖昧な表現ではなく、曲線を含んだ形状を「数値」という形で客観的に表すことができる。

 そこで423個のマタアを解析した結果、明らかに人の肌に突き刺すような用途には向いていなかったらしい(そもそも、一見して刃渡りが短すぎるが)。つまり、「武器」としては使えなかったということだ。実際は作物の根を切ったり木を曲げたりといった日常的な用途に使っていたと考える方がより確からしいとのことである。日用ナイフとして考えるととても汎用性の高いものであるそうだ。

 もちろん、刃物は刃物なので、戦争に使えないわけではないだろう。しかし、砦のような防御のための構築物が見つかっていないことからも、やはり「戦争」を想定するのは不合理だという(モアイや神殿を作れる彼らなら、要塞だって作れるだろう)。したがって、「モアイ戦争そのものがなかった」というストーリーの方が説得力を帯びてきたわけだ。「部族間闘争」は、時のヨーロッパ人の「未開社会イメージ」を引きずっているだけかもしれないのである。

 

 そもそも、あるていど確かなことは、(1)大規模な森林破壊が起こったことと、(2)ヨーロッパ人が最初に行った時に比べて半世紀後には急激に人口が減っていたとみえること、である。(1)については、前の記事でみた同じくカール・リポ教授による「ネズミ大量増殖説」も随分確からしいことがわかった。これでいけば、少なくとも「人間が木を伐りすぎたせいではない」ということになる。

 次に(2)だが、これはまず「人口は本当に減ったのか」という問題がある。ヨーロッパ人探検家による報告は、どちらも目算に過ぎないからである。もともと少なかったなら減ったとは言えない。例えば、初期の探検家はモアイをみて一様に驚いているが、モアイをどのように作ったのかまったくわからなかった以上、その製作に途方もない人数が必要だと無批判に考えて、そのせいで人口が誇張されて見積もられたということもできる。

 あるいは、本当に減っていたとしても、その理由が戦争だとは限らない。例えば、他に可能性が高い説として「疫病」というのもある。つまり、最初に到達したヨーロッパ人が病原菌を持ち込んでいて、イースター島の人々がそれに耐性がなかったせいで次々と倒れていったという見方である(これこそ、ジャレド・ダイアモンドが人類の歴史を見る上でキーポイントとしている視点の一つである『銃・病原菌・鉄』)。

 いずれにせよ、もし今回の「マタア非武器説」が正しければ、イースター島史を見る目はまた随分かわりそうだ。もっとも、「モアイ」についての謎は残る。記録によれば、1722年に「立っていた」モアイは、半世紀後には「倒れていた」からである。その原因は、「戦争説」によれば「部族間での闘争ゆえ、相手の部族の守り神モアイを倒した」となっていたが、もし戦争がなかったとすれば、別の説明が必要になるだろう。

 

 まとめよう。ヨーロッパ人の到達後(文字記録以降)、ある視点から見れば、人々による森林破壊とそれに伴う食糧難、および残された資源をめぐる闘争により、イースター島社会は崩壊した。

 一方、別の視点から見れば、ネズミの大量増殖により森林が崩壊して、さらにその他の食糧も食い荒らされ、また、疫病も重なって人口が急激に減り、社会が崩壊した。

 どちらをとるかで、かつてのイースター島の人々が短絡的で好戦的だったのか、協働的で平和的だった(にもかかわらずやむを得ず社会が崩壊してしまった)のか、そのイメージが決まるわけである。

The Oxford Book of Exploration (Oxford Books of Prose & Verse)

The Oxford Book of Exploration (Oxford Books of Prose & Verse)

 

 これを機会に『The Oxford Book of Exploration』でヤコブ・ロッヘフェーン(最初に到達したヨーロッパ人)のイースター島での記録を見てみたが、モアイの存在に衝撃を受けたあと、それ以上に「なぜこんな技術力でこのようなことができたのか」ということに驚いている。

 元裁判官だったこともあってか記述はハッキリしているが、天候が悪かったらしく、目的地でもなかったため、実際は1日で去っている。だから内陸に調査に行ったりもしていないから、今の感覚からすれば、それで人口がわかるわけないだろうと思うところだ。

 ちなみに、この本は人類史上の探検家(とりわけ各地を最初に「発見」した人たち)による当時の記録を集めた、ありそうでなかったアンソロジーである。編者が序文で「探検家たちが行った本当の意味での『最初の』ことと言えば、まさに『書き記した』というそのことだ」と書いているのが示唆的だ。

 過去の歴史に関する我々の知識は大部分、書かれたものによって成り立っている。そして、あることについての解釈や想像力の広がりを圧倒的に規定してしまうのは、最初にそれを記したものなのである。もっとも、認識はすべて「はじめに先入観ありき」なのだが。

 

 追記。今立っているモアイはなんだとブックマークコメントを頂いたので補足情報。

 結論から言えば、20世紀に再び立った。モアイ戦争は150年くらい続いたとされているが、ともかく一旦は全てのモアイが倒されたことが確認されている。現在島で立っているモアイは45体だそうだが、1956年にノルウェー人探検家のトール・ヘイエルダールが研究の一環として台座に立てたのが再建の始まり。


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