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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

「宗教」は今後どうなるのか(3)島田裕巳『宗教消滅』を読む(続き)

nekonaga.hatenablog.com

 

 島田裕巳『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)』の内容を紹介しているところである。

 前回は、同書で考察されている日本における宗教事情をみた。簡単にまとめれば、まず、日本では戦後の経済成長に伴う都市部への人口流入によって、新宗教が成長した。またその裏返しとして、地方の寺院と結びつきを持つ人が一方的に減少したため、既成宗教である仏教は縮小の一途を辿った。

 次に、現代では経済成長の衰退とともに新宗教も衰退しているが、都市部へ出た人が既成宗教との結びつきを回復するケースは多数派ではないため、依然として既成宗教も衰退している。したがって、日本では宗教全体が衰退している。

 

 さて、こうした各宗教の衰退が、日本だけでなく世界各国で起こっているというのが著者の分析である。そこで今回は、同書で言及されている日本以外での事情をまとめてみることにする。取り上げるのはフランス、ドイツ、韓国、中国である。他にもいくつか触れられているが、最もページが割かれているのはこれらの国である。順にみていこう。

 

 まずフランス。フランスはカトリック国である。著者はまず、ミサに与かる人の数を比較している。1958年では、日曜日のたびに教会に出かけていた人は、全フランス人のうち35%に上っていた。つまり、3人に1人は毎週教会に足を運んでいたわけである。

 ところが2004年になると、この割合はなんと5%になっている。さらに2011年では、毎週一度は教会に通う人は0.9%となっている。つまり、50年あまりで約40分の1に減った計算となるのである。

 もっとも、依然として「自分はキリスト教の教会に属している」と答える人は63%であることから、「教会には属しているが、教会には行かなくなった」という人が大勢いることがわかる。これは、「形式は残しているが、信仰はしていない」ということであろう。その意味では日本人の仏教や神道とのかかわりとよく似ている。

 ただし、別の統計では、2010年時点でキリスト教徒の割合は44%になっており、残りは無宗教・不可知論が29%、無神論が13%とのことである。したがって日本とは少し違うことがわかる(「不可知論」は神がいるかいないか人間には知り得ないという立場、「無神論」は「神はいない」と積極的に主張する立場であり、無関心な「無宗教」とは異なる)。とは言え、いずれにしても「積極的に神を信じる」という人が大幅に減っていることは明らかである。

 では、前回みた「経済成長は新宗教を成長させる」という法則はどうか。フランスでは、1945年から75年まで「栄光の30年」と言われる経済成長があった。しかし、人口流入の規模が小さかったため、日本のように新宗教が膨大な信者を獲得するということはなかったそうである。

 もっとも、既成宗教の衰退がひたすら続いているという意味では、日本での仏教とフランスでのカトリックは軌を一にしていると言える。

 

 次にドイツ。ドイツでは事態が衝撃的な進行をみせているとのことで、「教会からの離脱」がかなり目立つことが取り上げられている。まずカトリックでは、2014年の正式な教会離脱者は約21万7千人で、これは前年比21%増しだそうである。つまり、加速度的に減り続けている。

 ではプロテスタントはどうか。先程とは別の調査ではあるが、やはり同じく1年で約20万人が離脱したという。こちらも、今後も減る一方だと考えられる。ちなみに、ドイツでのカトリックとプロテスタントの信者は双方ともに約2500万人で、それぞれ人口の約30%くらいである。

 さて、ドイツでの特徴は、フランスのようにゆるやかに無宗教化しているのではなく、公式に「離脱」という形で「積極的に」キリスト教離れが進んでいることである。したがってフランスとは事情が大きく異なりそうだが、理由はとてもシンプルで「教会税」に原因があるとのことだ。

 教会税とは、所得税とは別に、所得税の8~10%が徴収されるというものである。そして、教会ではなく国家が徴収する。つまり、教会に所属していると事実上、所得税が割増状態となるのである。したがって経済的理由で積極的に離脱する人が増えているということだ。メカニズムは違うにしても、ドイツでも既成宗教からの「宗教離れ」が進んでいるのである。

 ちなみに、教会を脱すると教会での儀式とも無縁になるから、例えば結婚式を教会で挙げることはできなくなる。それでもいいという人もいるそうだが、結婚式まで耐えて、挙式後に即離脱する若者も多いとのことである。この感覚は日本人なら容易に想像できるだろう。つまり、形式であり文化であり制度であり、信仰ではないのだ。

 

 さて、そんな「教会税」だが、この制度は他に、アイスランド、オーストリア、スイス、スウェーデン、デンマーク、フィンランドにもあるそうだ。そして、ドイツのみならず全体的に言って教会離れが進んでいそうである。その証拠に、ヨーロッパ全体の傾向として、経営が成り立たずに売却される教会が増えているらしい。

 その用途は住宅であったり、天井が高いことから「サーカスの練習場」というのもあるそうだが、一番多いケースは、「イスラム教のモスクへの転用」だそうだ(イスラム教における「モスク」は神聖な場ではなくただの集会場なので、集まって祈れればどこでもよいのである)。逆に言えば、ヨーロッパではキリスト教が衰退する一方で、イスラム教は拡大しているということである(ダーイシュの問題と混同しないように)。

 もちろん、ヨーロッパにおいて、キリスト教が衰退していることと、イスラム教が拡大していることは、互いに独立した問題である。つまり、もちろんキリスト教徒がイスラム教に改宗しているというわけではなく、キリスト教が衰退する一方で、移民や難民の流入によってイスラム教人口が増えているのである。昨年、シリアからの大量の難民がヨーロッパへ流入したことは記憶に新しい。

 それなら、各宗教が軒並み衰退している地域で「イスラム教だけは衰退していない」というのは注目すべき現象だが、これについては著者も触れており、重要な点であるので、次回に引き継ごう。

 

 さて、アジアに目を転じよう。おもしろいことに、ヨーロッパでキリスト教が衰退しているのに反して、東アジアの一部では、「キリスト教」は拡大しているのである。

 とは言っても、カッコつき「キリスト教」であり、ヨーロッパでのキリスト教からはキリスト教とはみられないような、「疑似キリスト教」である。

 まず、韓国をみてみよう。韓国にキリスト教徒が多いのはよく知られているが、その拡大プロセスを見てみると、実は前回みたような日本の新宗教の拡大とよく似ていることがわかる。つまり、「経済成長が新宗教の成長を導く」である。

 韓国では、1960年代からの経済成長とともに、首都ソウルへの人口流入が増えた。どれくらいかと言うと、2000年までの40年間でソウルの人口は約4倍になっているのである。もちろん、人口の絶対数も変化しているが、割合で言っても、全人口のうちソウルに住む人は1960年の20.8%から2000年には46.3%に増えている。

 これにともなって、宗教との結びつきという意味では、日本で地方から都市へ多くの人が流入した時と同じ事態となっている。つまり、日本でも地縁・血縁的宗教を地方に置いてきたように、韓国でも儒教や仏教といった地域的信仰を都市へ持ち込むことはできなかった。

 しかし、もちろん日本で起きたように都市流入民の「孤独化」という事態は同じく起こる。そこで、そうした人々を取り込んでいったのが、韓国においてはキリスト教だったということだ。

 では、なぜキリスト教なのか。実は韓国の「キリスト教」は、元々あったシャーマニズムと習合した「現世利益のキリスト教」だったからである。この意味で「疑似キリスト教」なわけであり、実態としては新宗教なのである。考えてみれば、日本における戦後の新宗教も、既成宗教である仏教を土台としたものでありながら、「病気治し」といった現世利益を掲げて信者を獲得していたのだ。

 それなら、日本と同じく経済が衰退している今では「疑似キリスト教」も衰退しているのかと言えば、実際にそうであるという。前回、「経済成長は新宗教の成長を導く」の法則をあれだけみておいた甲斐があったというものだが、こういう法則をつかんでおくと、自分で動向を予測できるようになるわけである(社会科学だから例外は常にあるが)。

 

 次に、中国を見てみよう。ここでも疑似キリスト教が登場する。ただし、中国の場合は国家システムが随分異なるから、事情も随分異なる。とは言え、半分は資本主義を入れているから、「経済格差」というのはやはりある。したがって、その格差に苦しむ人が宗教を求めるという点では変わりがない。

 補足しておくと、これまでにみてきたところでは、宗教が成長する原因は「経済格差」ではなく「経済成長」ということであった。しかし、視点を変えるとこれは同じことなのである。なぜなら、そもそも地方から都市に人口が流れる理由が「経済格差」だからである(成長した分の利益が万遍なく分配されることはないから)。宗教とは、そういうものなのだ。

 さて、ところが大前提として、中国では国家が認めた宗教しか活動が許されない。したがって「新宗教」は、出てくるには出てくるが、大きな力を持ち続けるということはない。有名どころでは「全能神」や「法輪功」など、弾圧を受けながら続いている場合もあるが、文字通り命がけである。

 そこで、近年中国で伸びているのが「儒教」と「キリスト教」なのだそうだ。まず「儒教」であるが、これは文化大革命期に批判が展開された歴史があったものの、倫理道徳としては人々の間に根付いていたようで、「また明文化させてもいいだろう」という雰囲気になっているとのことである。これについては、政府側も「社会秩序が乱されるよりは」ということで認めているらしい。

 一方、「キリスト教」である。これについては、「公認のもの」と「公認でないもの」がある。どちらも、信頼に足る信者数等も含め、実態を把握することは難しい。しかし、いずれにせよ一般に言う「キリスト教」の範疇を出ていることは明らかである。

 まず、公認のものにはプロテスタントもカトリックもあるが、そもそも中国政府は宗教そのものを嫌っているため、どの宗教にも数々の制限を加えている。そのせいで、プロテスタントにしろ、カトリックにしろ、本当にそうかと言えば疑わしいものとなっている。

 例えば、カトリックはすべてバチカンローマに包摂されるはずだが、中国では国内で独自のヒエラルキーが形成されている。そして、司教の叙階もバチカンの認可を得ずに行っているのである。したがって「カトリックではないカトリック」の様相を呈しているということである。

 一方で、人間の信仰心は強いもので、こうした政府による統制宗教を離れて独自に活動する「地下教会(家庭教会)」というのがある。これが見つかればアウトの「非公認」の方だが、一応、「福音派」ということらしい。もっとも、この「福音派」は指導者のカリスマ性や現世利益を動力としているとのことで、やはり「キリスト教」というよりは「新宗教」の感が強い。

 ということで、中国では国家の統制により、もともと宗教の盛衰そのものに自由度がない(弾圧されたり、場合によっては殺されたりするので)。しかし、一方で人々の信仰心がやむことはなさそうだから、もともと「宗教」があるかどうかは別として、「宗教が衰退している」とは言えなさそうである。つまり中国は、今回取り上げた中ではかなり特異なケースとなる。

 

 さて、全体をまとめよう。まず、ざっくり言ってヨーロッパでは、主要な既成宗教であるキリスト教が衰退していると言えそうである。したがって日本と同じく、「宗教が衰退している」という流れの中にある。そして韓国も、日本と同じく「経済成長→既成宗教衰退&新宗教拡大→経済衰退&新宗教衰退」の道を辿っているため、やはり宗教は衰退している。

 一方で、今回みた中でひっかかったのは(1)ヨーロッパにおけるイスラム教の拡大と(2)中国での事情であった。いずれも「近代資本主義にどっぷりつかっているか否か」がポイントと言えそうであるが、次回はそのあたりにも触れつつ、「宗教は今後どうなるのか」という本題について、私なりの考えを書いていくことにしたい。

 

宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)

宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)

 
宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)

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