フリー哲学者ネコナガのブログ

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「宗教」は今後どうなるのか(1)「お坊さん便」からわかる日本での大きな流れ

 宗教は今後どうなるのか。宗教は人類の歴史と同じくらい古いと言われている。しかし、一方でそろそろ消滅するという声もある。こうした問題について考えてみたいと思うが、今回は前置きとして「お坊さん便」についてみてみることにしたい。

 

 昨年末にニュースで「お坊さん便」が話題となったことを覚えている人は多いだろう。お坊さん便とは、株式会社「みんれび」が2013年から自社ホームページで始めたサービスで、注文すると僧侶がやって来て法事を行ってくれるというものだ。

 移動がありかなしか(自宅だけでなく墓への移動を伴う場合など)、戒名授与がありかなしかで料金は異なるが、一番シンプルなもので35,000円、フルセットでも65,000円と、いずれにしても「格安」ということであった。

 とは言え、このサービス自体は2013年からあった。急にニュースで注目されたのは、みんれびがこのサービスをアマゾンに出品したからであった([お坊さん便] 法事法要手配チケット (移動なし))。以来、海外メディアでも「ワンクリックでお坊さん宅配」として結構流れている。

 このサービス自体の新規性もそうだが、加えて、これに対して全日本仏教会が「宗教行為をサービス化している」と反発したのも話題となった。一応、報道されているのはこのくらいである。

 

 さて、これについての考察はとても単純だと思うが、要するに(1)自明のものとして続いてきた檀家寺制度の下での仏教式葬儀・法事システムが、若い世代や都市に住む人を中心に自明ではなくなっている、というのがまずある。この点はすでにいくらでも指摘されているが、例えばその実態を描いた鵜飼秀徳『寺院消滅』はよく売れている。

 一方、今回の件について全日本仏教会ホームページにある理事長談話(「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」について)を読むと、全日本仏教会がお坊さん便に反対する論理は、イオンの時(2010年5月にイオンが僧侶紹介サービスを開始した際「目安額」を提示したこと)と同じである。つまり、宗教行為である「お布施」を「サービス/商品」として定額表示するな、ということである。

 もちろん、これは表の論理だろう(そもそも「お布施」の本義を理解して宗教行為として行っている人は少数派ではなかろうか)。一方で裏の論理として間違いなくあるのは、日本の仏教界全体に対する経済的ダメージである。つまり本音は(2)ますます寺院経営が成り立たなくなる(あるいは、一部大寺院では「贅沢できなくなる」かもしれない)ということである。

 事実、サービス自体は2013年からあったにもかかわらず、アマゾンに出品した段階で声明を出したのはそういうことであろう。つまり、自社HPでの宣伝くらいで元々お寺にお布施していない範囲を囲い込んで小さくやるならいいが、アマゾンのような影響力の強い場に出したら、お寺にお布施していた人までそっちに流れてしまうじゃないか、ということである。

 一応、理事長談話ではあくまでも「宗教的に」という体で貫かれているため、「『Amazon』の、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません」と苦しい反論がなされているが、もちろんこれは的外れだろう。アマゾンは資本主義ど真ん中の営利企業であり、株式会社の本義は「株主の利益に資すること」だから、もともと宗教に配慮しなければならない理由はない。

 要するに、仏教界の方も本音は「経営的に困る」であり、宗教の論理ではない(元より日本の仏教はそんなに「信仰」を重視していない)。したがって、(1)と(2)を綜合すれば、日本では長らく仏教の独占市場であった「あの世ビジネス」も、資本主義の論理にのみこまれはじめている、という大きな絵が見えてくる。

 それなら、今後まず間違いなく考えられる方向性としては、「あの世ビジネス」の自由市場化というのがある。というより、「お坊さん便」サービスが普及し始めていることからもわかるように、すでにジワジワと起こっているが、ますます大々的に起こるということだ。いったん自由市場化すれば、価格面でも、形態面でも、いくらでもアイデアが出てヴァライエティに富んでくるはずである。

 ちなみに、これに関連することは以前に少し書いたので参考にしてほしい(日本人の死生観と「死」について~儒教、仏教と民衆信仰)。

 

 さて、そこで本題だが、こうした流れをみて、今言われているような「宗教」という概念は今後どのように変容してゆくのかということである。

 これについて頭の片隅で考え続けていたら、タイムリーなことに島田裕巳『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)』という本が出ていたので読んでみた次第である。本当はその書評を書くつもりだったが、前置きだけでこんなになってしまったので、別の記事にした。ということで次回は同書を読みながら本題に入っていこう。

 

寺院消滅

寺院消滅

 
お寺の経済学

お寺の経済学

 

 

 ちなみに、この機会に「お布施」の本義についてみておこう。理事長談話では、「慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで『六波羅蜜(ろくはらみつ)』といわれる修行の一つです」と説明があるが、ここでの説明はわかりづらいので『岩波 仏教辞典 第二版』を引きながら補足する。

 まず「六波羅蜜」とは、大乗仏教(日本仏教は大乗仏教だ)において、菩薩(修行中の人)に課せられた6つの実践徳目である。つまり、仏教を信仰している人なら「すべきこと」「した方がよいこと」である(「しなければならないこと」ではない)。その中の一つに「布施」がある。

 そこで「布施」の項を見ると、布施には「衣食などの物資を与える〈財施〉,教えを説き与える〈法施〉,怖れをとり除いてやる〈無畏施〉」の三つがあるとあり、それは「執着の心を離れてなされるべきもの」とある。つまり、やってもやらなくてもいいが、やるなら見返りを一切求めずにやるものということだ。だから修行としての意味がある。

 ただし、さらに読むと「転じて,僧侶に対して施し与えられる金品をいう」とある。ちなみに葬儀サービスHPの説明でも、お布施について「サービスの対価ではありません」と説明がありながら「謝礼です」とあったりする。

 いずれにせよ、現代の日本で行われている「お布施」は本来の意味でのものとは言い難いだろう。つまり実態としてはサービス─対価の関係と理解されているということであり、だからこそ「お坊さん便」も出てくるわけである。

 

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