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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

ブログの記事が無断転載されていることについて

ちょっとした読み物

 本ブログの一部の記事が、いくつかのサイトに無断転載されている。先日新たに発見したのだが、実は以前からいくつか知っていたので、インターネットの世界では思っていた以上にこういうことが日常茶飯事なのだということに驚いている。

 驚いているだけではなく、もちろん違法性を認識したうえで、私としては即刻やめていただきたいし、そういったルールを守るのが当たり前であるようなカルチャーを担保すべきだと思うが、ともかくこういう問題について少し書いておきたいと思う。

 

 まず、言うまでもなく他人の著作物を許可なく転載するのは著作権の侵害であり、違法行為である。「引用」の場合はルールに則っていれば許可をとる必要はないが、いわゆる転載、丸ごとコピーペーストは本人の許可がなければ即アウトである。

 引用のルールについては常識の範囲内だと思うが、簡単に言えば、あくまでも自分の文章がメインである中で、引用する必然性があり、引用元が示されており、引用部分がそうでない部分と区別されている、などを満たしている必要がある。

 ちなみに著作権法を読めば、ブログの記事にも当然著作権が発生していることは明らかだし、もちろんペンネームでも著作者とみなされる。したがって書いた本人の意思とは関係なく、すべてのブログ記事には公開した瞬間に著作権が発生している。

 

 そもそも、使い捨て文化のネット上にあって、ブログの記事に著作権があるという認識自体がおそらく薄いのであろう。しかもコンピュータの場合は複製が一瞬でできてしまうから、「できてしまうなら、やってしまう」という人が出てくるのは常である。

 もちろん、「できることをどんどんやってしまう」というのは元来IT業界の推進力でもあるが、違法であれば初めから論外ということだ(その意味では、いくら社会的意義があっても、例えばウィキリークスをどうみるかは微妙なところだ)。

 いずれにせよ、大人として最低限の知識と社会性がなければ、インターネットは使うべきではないだろう。日本では特にネット空間が未成熟だと言われるが、これは匿名文化だからではなく、非ネット上の世界と同じように見ていないのが問題なのである。

 

 さて、どうやって無断転載を知ったかというと、もちろん自分でいちいち探しているわけではないから、はてなブログに元々あるアクセス解析で、参照元ページに見慣れないサイトがあるから気づくのだが、おもしろいのはここであろう。

 つまり、無断転載している輩は、ご丁寧に元記事のURLは貼っているわけである。それなら最初からURLだけを貼れと思うが、なぜ損害賠償請求や刑事罰を受けるリスクをとってまで、もうひと手間かかる転載の方を選ぶのか。そのあたりの心理が謎である。

 もっとも、これはやはりある種の「クセ」のようなもので、特に何も考えずにやっているだけなのであろう。要するに無知な子どもであり、結局「使うべきではない人が使っているから」ということになる。つまり、問題は「社会性」である。

 逆に言えば、インターネット空間に特有のルールやマナーというものがあるわけではない。非ネット空間と同じく、大人として最低限の知識を持って、自分の行為に責任を持って、他者を尊重して、その上で自由にやればよいというだけだ。

 

 「社会性」とは、当然だが、そこが社会であることを前提に振る舞うということである。つまり、「個人の領域ではない」ということにポイントがある。現に著作権にしても、私的複製(自分が紙で読みたいから印刷するとか)ならば侵害にはあたらない。

 しかし、個人の領域ではない「社会」の領域になった瞬間に、そこには社会ごとに様々なルールがある。日本社会なら、法治国家だから法律を前提にする必要があるし、あるいは例えば、憲法に書かれている通りすべての人は平等である。

 わかりやすく言えば、例えばよくみかける「店員にエラそうな態度をとっている人」などは典型的な「社会性がない人」である。そこは社会で、すべての個人は対等のはずだからである(ちなみに、誰も全体を把握できないような次元を「社会」と呼ぶ)。

 その人は、自分では自分をエラいと思っているのかもしれないし、自分が属する集団内では、エラそうに振る舞うことが許されているのかもしれない。しかし、社会において私的空間と同じように振る舞う人は、大人とはみなされないのである。

 

 こうしてみれば、もっと根本的に重要なのは、私もここで「ネット空間」と「非ネット空間」を当然のように別のものとして語ってはいるが、それらが実際はつながっている一つのものであるということを忘れないことであろう。

 そうすれば、大人として最低限のルールを不用意に逸脱することもないし、ネットだからとやたらに神経質になる必要もない。ルールに違いはなく、要するに問題は社会空間か個人空間かということである。個人的な領域なら、どうぞご自由にである。

 無断転載にしても、自分だけがみる自分用のサイトでやるなら、オフラインで作ればOKなわけである。ただ、それをネットワークに乗せるという形で社会空間に持ち込んだ瞬間に「子ども」とみなされ、場合によっては法の裁きを受けるだけだ。

 

 あるいは社会的な話とは別に、無断転載された時の個人の実感というのもあるが、これはやはり「気持ちが悪い」であろう。著作権法はあくまでも商売の論理かもしれないが、私個人としては、自分の文章が自分の管理下を離れることがとても気持ちが悪い。

 これは、SNSで自分の写っている写真を勝手に載せられる気持ち悪さと同じであろう。私の周りでも、まともな人は「あとで載せてもいい?」と一人一人にきちんときいているが、そういう人を私は大人と呼ぶ。「みんなしているから」は子どもである。

 もっとも、生まれた時からネット文化に触れている人口が増えるとともに、できるんだからやっていいという子どもの論理がますます蔓延してゆくのは間違いないであろう。そういう今こそ、「自由」はもともと社会性と不可分であることを教えるべきだ。

 

 だいぶ話が派生したが、もっとも現実的には、無断転載されたからといって、お手軽な対処法があるわけではない。何らかの直接的被害があれば流れ自体は簡単だが、手間がかかるし、いずれにせよ多くの場合はされた方が一方的に迷惑なだけである。

 しかし、だからこそ、法的に認められていないということはもちろん、個人的に嫌な人はそれも含め、こうした行為がまかり通って当然とならないように、何かあればどんどん声を上げてほしいと思う。こうしてブログで書くのでもいいし。


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