フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

血液型占いはなぜ当たるのか─当たろうが当たるまいが、本質を知ろう

tocana.jp

 

 「血液型占い」である。昨今の日本に限って言えば、「血液型占い」を知らない人を見つけるのは難しいであろう。そして、「血液型占いに科学的根拠がない」ということをわきまえていない人も、そんなにいないであろう。しかし、時々「当たる」ことがあるとされている。そして、それがおもしろい人もいるらしい。そこで、娯楽程度に楽しむのならいいではないか、となる。

 もっとも、それでもつっこみどころはたくさんある。まず、「科学的根拠とは何か」である。これについては、それを専門にする分野(科学哲学)があるくらい、そんなに簡単な問題ではない。したがって多くの場合、無批判に「科学的根拠がない」と主張している人は、科学的根拠があると信じている人とさほどかわりはない。どこかで「科学的根拠はない」ということをきいて、それを「信じている」だけである。

 こういう時は、具体的に何と何の因果関係がどれほど確からしいのかをしらみつぶしにみていくしかないのだが、もっとも全てを見渡すことはできない。したがって、「科学的根拠がない」というのも、厳密に言えば誤りである。なぜなら、いつかみつかる可能性はゼロではないからである。つまり、「ある」ことの証明は簡単だが、「ない」ことは原理的に証明できない。これは論理思考の基本中の基本である。

 

 さておき、「少なくとも現段階で何が言えるのか」ということで、「血液型占いとは何か」を考えてみたい。ちなみに、タイトルに書いてしまったので最初に結論を言えば、血液型占いが他の占いと比べるとよく「当たる」のは事実である。これは論理的に正しい。なぜなら、例えば星座占いは、血液型占いと同じく排他的(必ずどれか一つに分類される)だが、類型の方が12種類あるからである。

 ご存じの通り、占いというのは多くの場合、ほぼ誰にでもあてはまることが「こうでしょう」と言われる。つまり、命題については相手が誰でも問題はない。あるいは、万が一外れても、「こうでしょう、こうでしょう、こうでしょう」と必ずいくつも言われるので、どれか一つくらいは当たる。そして、人間は都合のいいことだけを記憶するので、2,3割も当てれば、外れた方は全部忘れて「当たった」と感じる。

 したがってあとは、相手の類型に当てはまるかどうかである。そこで、類型の数が少ないほどよく当たるのは、確率の観点から言って当然である。つまり、星座占いなら1/12の確率(8.33%)だが、血液型占いは4つしか類型がないから、1/4の確率(25%)で当たることになる。それゆえに、星座占いと比べると、血液型占いは「3倍当たりやすい」のである。類型が2つや3つなら当たる確率はさらに上がるが、それでは複雑性が低すぎておもしろくないから、「4つ」というのはきわめてちょうどよいのであろう。

 

 さて、最初に挙げた記事には、血液型と性格の関係が軍隊に端を発することが紹介されている。つまり、輸血の便宜をはかって血液型別に部隊を編成したら、「隊ごとに大まかな性格に違いがある」と誰かが言い出したわけである。もちろん、実際に性格が異なっていたとしても、それが血液型のせいなのかは別の話だが、ともかく遊びではなく実用的な関心がここにあることはわかるであろう。

 実際、血液型に関するまともな研究はもちろん多くあり(たとえば、血液型によって特定の病気のかかりやすさに違いがあることはよく知られている)、「性格との関係」という意味でも、百年ほど前なら欧米でも「科学」の一部になかったわけでもない。ただ、仮に血液型が性格に関係していたとしても、「因果関係が遠すぎる=何とでも言えてしまう」ことから、次第に基礎研究からなくなっただけである。つまり、科学の扱う範囲としてふさわしくなくなった。

 そう思えば、同じ血液型への興味とは言っても「血液型占い」自体のルーツはここにはないであろう。そこで参照記事を見ると、昨今の日本で言う「血液型占い」につながる源流は、1973年の『血液型人間学―あなたを幸せにする性格分析』にあるらしい。これなど見た目から「血液型占い」の雰囲気をまとっているが(読んでいないけど)、記事によれば実際、きわめて主観的なものらしい。ということは、日本では人間の類型に関して、半世紀前と同じ考え方をまだ採用しているということであろう。

 

 では、なぜ多くの人がバカバカしいと思いながら、血液型性格論が今でもあるのか。これは、実は「代わりになるものがないから」であろう。どういうことかと言えば、血液型占いであろうがなかろうが、とっつきやすくて覚えやすい「似たようなもの」は必ず必要だということである。なぜなら、「人間をいくつかの類型に分けて認識・記憶する」というのは、われわれの認知のメカニズムそのものの性質だからである。つまり、脳の情報処理においては「はじめに分類ありき」なのである。

 だからこそ、欧米には「エニアグラム」というものがあるし、あるいは大量の患者のパーソナリティを記憶しておかなければならない精神分析の分野などでも、例えばユングは『心理学的類型』といったものを提唱している。要するに、分類方法として何を採用するかという話である。だから血液型占いが日本で流行るのは、日本ではABO式で分けた時の血液型4種類がほどよく分布していて都合がよいから、というのもあるだろう。欧米ではOやAに極端に偏っているからこれは適当ではない。

 いずれにしても、われわれの認識はパターン認識が基本である。実際、こうした枠組みを意図的に採用していない人も、初めて会った人には「知り合いのあの人に似ている」「芸能人のあの人っぽい」「○○の仕事してそう」といった「レッテル」を無意識に貼り付けている。そうしないと記憶はもちろん、認識すらできないからである(対象が人間でない場合も同じ)。ということで、いくつかのことを簡単に見てみたが、結論を言えば、血液型占いが流行る理由は、「たまたま」というのが実情であろう。

 

心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)

心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)

 
心の仕組み 下 (ちくま学芸文庫)

心の仕組み 下 (ちくま学芸文庫)

 

 類型化が人間の認知の基本である理由は分野・論者によって説明が異なるが、本書の一部で進化心理学的な議論が整理されている。

 

nekonaga.hatenablog.com


© 2015 ネコナガ (id:nekonaga)
Amazon.co.jpアソシエイト