フリー哲学者ネコナガのブログ

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本の未来を読んでみよう(1)立ち読みはどこまで許されるのか

 「立ち読みはどこまで許されるのか」と題してみたが、リアル書店の現状を通して読書の未来を考えてみたい。「立ち読み」というのは、立っていようがいまいが、購入していない本を売り場で読むことである。これは、マナーという意味では基本的によくないことだとされてきた。つまり、「対価を払わずにタダ乗りしている」とみなされていた。

 ところが、今やマナー違反だという観念は薄くなっている。理由はいくつかあるが、まず社会状況の変化として、本の「内容」が価値の源泉ではなくなってきたということがある。大まかに言って、本自体の量が増えたこと、またインターネット等の別の情報源にいくらでもアクセス可能になったことにより、本一冊が持つ情報量が相対的に減ったということもある。

 つまり、「書いてある情報を得る」くらいで対価を払おうという人がどんどん減っているわけである。それと同時に、本がますます「消費」の対象になるにつれて、全体的に言って内容の質も落ちているのは間違いない。つまり、絶対的な情報量も減っている。事実、書店に並んでいる本は「内容の濃さ」よりも「読みやすさ」が重視されるようになっている。本は今や、何にも増して商品なのだ。

 補足すれば、読者人口がより増えるほど、中身は「より多くの人にウケる」ものにならざるを得ないから、「難しくても有益な知識」や「芸術性の高い内容」は淘汰され、「読みやすく、共感しやすいもの」が残ることになるのだ。これは映画や音楽が辿った道と全く同じである。出版社も書店もビジネスだから当然である。それなら、「本一冊読んだくらいで得られる情報は減っている」というのもある。

 とは言え、少しは情報を得ているのだから、やはり相応のお金を払うべきではないか。今でもそう思う人もいるかもしれない。立ち読みが未だに敬遠されているとしたら、理由はそれしかないであろう(他の人の邪魔になるとか、書店員の作業の邪魔になるとかいった物理的な問題はあるかもしれないが、それは言わば主観的な好みの問題だから、別の話である)。

 しかし、立ち読みには今や後ろめたいところは何もない。むしろ、立ち読みウェルカムの書店が伸びているのはご存じの通りである。大型書店ならどこでも、「本を選ぶため」と称してイスが用意されているし、場合によっては机まで置いてある。あるいは今や、併設のカフェに買ってもいない本を持ち込んで読んだりすることもできる。こうした傾向はますます進むだろう。

 こうしてみれば明らかなように、「立ち読み」はすでに、販売戦略の一環だということだ。こちらが「するかしないか」ではなく書店が「させよう」とする方向に進んでいるのである。書店員が自覚しているかは別の話だが、経営側の視点でみれば、本来の目的(売上)からして、立ち読みを嫌う方がどうかしているのだ。なぜなら、立ち読みされても書店の側には何の損失も生じないにもかかわらず、大いに売上向上のきっかけになるからである。

 もちろん、立ち読みされたせいで本が汚れたり折れたり、つまり商品価値が損なわれたらある程度は損失になるから(これは版元に返したりするらしい)、その点は確かに「マナー」として担保されるべきだろう(それも長くは続かないマナーかもしれないが)。しかし、立ち読みすること自体は、むしろ客として真っ当な行為ということになる。そもそも、実際に読んでみることができるのが今やリアル書店のウリなのだ。

 少し説明しよう。書店側からすれば、立ち読みする人がいようがいまいが、その本はそこに並べられる(流通・管理コストはもともと計上されている)。したがって「立ち読みする人」のために書店が負担しているコストは何もないのだ。せいぜい物理的に場所をとられるのと、その間だけ他の人がその本を買えないという機会損失くらいだが、これは些細なものである。

 一方、立ち読みしてもらうこと自体が、何よりの広告宣伝効果を持つ。たとえば、ビニールがかかっていれば誰もその本を買わないかもしれないが(コンビニではビニールがしてあることもあるが、これは販売形態の違いである)、立ち読みによってたとえ10人にタダで読まれても、その中の1人でもその本を買ってくれれば利益になるのである(そうでなければ書店業がそもそも成り立たない)。

 つまり、書店にとってはビニールをかけるとか書店員が追い払うとかして立ち読みを防ぐ方が、売上が落ちる上にコストも余分にかかって二重に損なのだ。このように、「立ち読みさせること」は、実質的にコストはかからないながら、とても効果的な広告宣伝手法なのである。だからこそ書店は、むしろ「立ち読みしやすい環境」を整えるためにコストを払うようになっているのだ。

 

 さて、それなら、「立ち読みできる(タダで読める)のになぜお金を払う人がいるのか」ということになるだろう。情報を得るというだけなら、立ち読みで充分である。そして、そこに来ればいつでも(なくなっている可能性もあるけど)また読める。しかし、にもかかわらずお金を払ってその本を持って帰る人がいるのは、ひとえに別の理由があるからであろう。

 つまり、別の場所で別の時間に読みたいとか、手元に置いておきたいとか、要するに本人にとっての「利便性の向上」である。それは、この「商品」が「モノ」であるからこそ生じている価値であるが、言いかえればわれわれは、もはや本の内容に対価を払ってなどいないのである。そうではなく、利便性を買っているのだ。それなら、中身に関係なく値段が決まるのは納得であろう。

 

 結論を言えば、「立ち読みはどこまで許されるのか」と問うこと自体が、すでにナンセンスだと言えるのだ。もちろん、こんなことはもう常識なのかもしれないが、以上を踏まえて、書店や読書の今後を考えてみようというのが主旨である。しかし、長くなったので続きは次回ということにしよう。

 

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