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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

『世界史を変えた薬』佐藤健太郎─薬と医学と人々、それぞれの歴史

 佐藤健太郎『世界史を変えた薬』を読む。医学系の新書では珍しいスタイルだが、おもしろい読み物となっている。

 

 まえがきに「歴史にifは禁物である」という言葉が引かれている。一般にこれは戒める意味で使われるが、実際は歴史家でもなければ、ifを交えた思考実験は想像力のいい訓練になる。本書の著者は、もちろん事実に基づいて話しているが、随所に「もしこれがこうだったら」という語りが出てくるので、世界史の想像力をかきたてられる。

 たとえば、「もしコロンブスやマゼランがビタミンCを知っていたら」。ビタミンCは今でこそ身近なものとなっているが、日本薬局方に記載されている立派な医薬の一つなのである。そしてこれがコロンブスやマゼランと結びつくのは、一時期まで船乗りたちを恐れさせたことで悪名高い「壊血病」というものがあったからだ。

 壊血病とは、肌のハリがなくなったり、口から血を吐いたり、下痢・関節の痛みがあったりと目に見えて「徹底的に衰弱」してゆく病気である。これは海へ出た人々の典型的な死因の一つだったが、解決されたのは実に18世紀の後半になってから。レモンとオレンジで予防できたことから、原因が「ビタミンC不足」にあることがわかったのだ。

 航海者たちは、何より「長期保存」という観点から食糧を選ばねばならなかったから、野菜や果物といったビタミンC源は必然的に抜け落ちてしまっていた。しかし、ビタミンCはこれなしには生成し難い「コラーゲン」(細胞と細胞をつなぐ役目)をつくるために人体にとって必要不可欠なものであった。

 

 さて、かくも恐ろしい「壊血病」は、逆に言えばこのように「あっさりと解決された」。しかし、著者が指摘しているように、実はレモンやオレンジがいいらしい、という情報がなかったわけではないのだ。対処法自体は経験的に知られていないわけではなかった。つまり問題は、対処法が知られていながら、それが「当然」のものとして広まらなかったのはなぜか、ということである。

 これについて著者は「医学がなかったから」というシンプルな回答である。この視点は、人類の歴史を語るにあたっては外せないものだ。「医学」は、他の多くの分野と違って、決して「少しずつ」進んできたわけではない。西洋医学的な意味での「薬」や「治療」が発達するには何より、「原因と結果の観察に基づく、普遍的な、不具合への対処法の探究」という特殊な考え方が、人々の間に受け入れられる必要があったのである。

 要はこの特殊な考え方こそ、われわれが呼ぶところの「医学」というものなのだが、著者はこの「医学」の始まりを19世紀の細菌学の誕生においている。その意味では、医学も一つのイデオロギー(絶対的・普遍的ではない、ある空間において支配的な考え方の体系)なのだ。つまり、「このようにすれば、このような事態には対処できるし、そうすべきだ」という考え方と作法が当然のものとして人々の頭の中になければ、医療行為は根付きようがないのである。

 事実、現代のわれわれは、平均寿命より前に死んだら「早死にだった」などと言ったりするし、病気になったら「どこか悪いところがある」とほとんど無意識的に判断している。しかし、これは明らかに「医学」を受け入れていてこそ成り立つ発想だ。たとえば著者が述べているように、ほんの百年前まで平均寿命は今の半分であった。あるいはこんなにも数多くの「病気」を「病気」として異常視できるようになっているのも、そうではない「正常」なるものが徐々に決定され始めたからだ。

 

 その意味では、現代の人類のライフスタイルは「発見されてきた薬によって規定されている」とも言えるだろう。今でも治療薬が見つかっていない難病もあれば、些細な偶然から見つかった薬が爆発的に世界史を変えていると思われる例もある。もっともこうした様々な歴史の偶然があるからこそ、著者は「if」の語りを重視するのであろう。本書を通して様々に思考を巡らせれば、医学や人類の歴史をかなり相対化することができる。

 あるいは本書でのエピソード選びのうまさはニクいところがあり、どこか人に言いたくなってしまうものが多い。たとえば、1623年のコンクラーベ(ローマ教皇の選出会議)では、集まった10人の枢機卿のうち8人がマラリアで死亡したとか(ローマ近郊はもともと沼地でマラリアが蔓延りやすい)。梅毒が、ロシアで「ポーランド病」、ポーランドで「ドイツ病」、オランダで「スペイン病」、イギリスとイタリアでは「フランス病」と呼ばれたこととか(正体不明な病気は、どこでも他国のせいにする)。

 

 ちなみに、紹介されている薬はビタミンCのほか、キニーネ、モルヒネ、麻酔薬、消毒薬、サルバルサン、サルファ剤、ペニシリン、アスピリン、エイズ治療薬である。こうした薬はそれなりに知っている人も多いであろうが、一つ一つがどれほど世界史に影響しているかというのはあまり考えたことはないのではなかろうか。いずれにしても、広くおすすめできる一冊だ。文系型読み物なので、化学が苦手な人もご安心を。

 

世界史を変えた薬 (講談社現代新書)

世界史を変えた薬 (講談社現代新書)

 
世界史を変えた薬 (講談社現代新書)

世界史を変えた薬 (講談社現代新書)

 

 


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