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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

『森田療法』岩井寛─神経質は「あるがまま」と「目的志向」で治せる

  岩井寛『森田療法』を読む。講談社現代新書のロングセラーの一つだが、森田正馬が創唱した「森田療法」についての平易な入門書である。

 

 森田療法とは、もともと「神経質」に悩む人のために考案されたもので、体験治療に基づく日本発の代表的な精神療法の一つだ。「神経質」というのは時代や社会によって定義がかなり異なるが、本書に則って森田の見方をまとめれば、何らかの「とらわれ」が極端な状態である。これを森田は「神経質」と呼んだ(もっとも、日常的に用いられる軽い意味での「神経質」と区別すべきということで、のちに「神経質症」と呼ばれるようになった)。

 現代的な用語では「病気不安症」や「強迫性障害」などがこれに含まれるが(こういう用語は今ではDSMというマニュアルに基づいているので、改訂ごとにいちいち調べないといけない)、つまり「自分は何かの病気ではないか」とか、「手が汚れている」といった観念に「極度に」支配されている状況である。こうした不安や恐怖は誰にでも生じ得る原初的なものだが、それが理由で「生活に支障をきたしている」場合に森田が言う「神経質」となる。

 つまり先の例で言えば、むやみに診断を受けて「異常なし」と言われると医師に反意を示すとか、一日中手を洗い続けているとかいった行動があらわれる。あるいは「他人にこのようにみられている」と一旦思い込むと、それに即して外からみれば非合理的な行動をとるようになる。こうした観念にとりつかれている人は、意味のわからないことをやっていると時には自覚していながら、それから逃れることができず、気にしないでおこうと意識するほどますます強迫観念が強められるという負のフィードバックに陥っているのである。

 

 しかし、そうした性質・気質は、志向を変えることで「自ら治療できる」というのが森田療法の考えだ。つまり、基本的にはなるべく薬に頼らないで(現在では投薬治療を併用することが多いとのことだが)「考え方」と「行動」を双方向的に変化させ、自分の全体像を少しずつずらことで、結果的に「治す」ということである。これは、神経質が精神疾患とは異なって「部分的な」パーソナリティの変調であるために、どちらかと言えば意志によって克服可能なことを示している。

 本書に則して私なりの言葉で説明するが、森田はまず、人間には大きく分けて二つの異なる志向性があると考える。一つは、より動物的な「自己防衛」のメカニズムであり、もう一つは自らの欲望を発露させて自由に生きたいという思いである。後者は「自己実現」であり、人間らしさと密接なつながりがある。この「自己防衛」と「自己実現」という二つの志向性の葛藤が、個人の中で後天的な「病」を徐々に形成してゆくのである。

 つまり、本来は「こうありたい」のだが、現実社会を生きる中でそれが「実現できない」ことが問題の根源となる。ここで、「自己実現」の志向性からは「こうあるべし」という思いだけが取り残されるが、一方で「自己防衛」のメカニズムによって、「そうあれない」場からは次第に遠ざかる。したがって必然的に社会生活から遠ざかり、自律した固有のメカニズムで動く「個人的な宇宙」に閉じこもってゆくのである。これは、基本的にはあらゆる「心の病」に通底するメカニズムでもあるだろう。

 要するに、「症状」それ自体は自分の防衛本能が正常にはたらいている証拠なのだが、一方で社会的要請と個人的習慣のギャップが大きいために「問題」とされてしまうのである(だからこそフーコーが論じたように、病気の存在基盤は「歴史的状況」にある)。逆に言えばここでいう「神経質」は、物理的な損傷がある場合と違って「後天的に獲得したパターン」に根差している場合が多いと考えられるから、それなら新しいパターンを上書きすれば「症状」と呼ばれていたものは結果的に消えるわけである。

 

 では「いかに書きかえるか」ということになるが、そこで森田が注目するのが、「自己実現」つまり「本来の自分の欲求」だ。神経質においては、自己防衛のために内在化した行動規範によって、本来の自分の欲求が抑えられている。しかし、それらの行動がいったい何から自己を「防衛」しているのかというと、実はなんでもなかったりするのである。そもそも元々は些細な不安や恐怖を、自分が増幅しただけだからだ。つまり、そこでの不安や恐怖は「自分が作り出している」と本人が実感することがポイントになる。

 そこで森田が最初に投げかけるのが、「あるがまま」という言葉である。タイトルに書いたが、森田療法のキーワードは「あるがまま」と「目的志向」である。ここで、「あるがまま」というのは、神経質を肯定することではない。つまり、神経質を前提として相応しい環境を探すのではない。そうではなく、どうあがいても人間は不条理な世界に生きているのだ、ということに正面から向き合って、「治そうとしない」ということである。つまり、「治す」ということを目的としない。

 では、何を目的にするかと言えば、「自己実現」の方である。こちらを行動の原理とするのだ。つまり、「人間らしく生きる」という意志をもとに、自分本来の欲求の方に忠実な行動をとる。そして神経質による「こだわり」の方は、勇気を出して「放っておく」のである。ここでは、神経質を「治す」ことは行動の目的ではない。自らの本当の欲望の方に目的意識を置いて行動する中で、「こうありたい」に向けて「確実に成長している」という歓びを体感してゆく中で、不要な「こだわり」が「気にならなくなる」のだ。

 

 あまり本そのものにふれなかったが、本書では、こうしたオリジナルの森田療法の基本的な考え方が治癒例とともにわかりやすく解説されている。重要なのは、最初に戻って、程度はともかく「不安」や「恐怖」は誰にでも生じるということである。つまり、このテクニックは日常生活の中で誰もが有効に使えるということだ。要は、(1)手段が目的にならないこと、(2)自分の本当の欲求に基づいた「目的」をもっていること、である。これは現代的な諸療法や自己啓発の理論にもつながるものだが、森田の先見性には驚くものがある。

 

森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

 
森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

 

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