フリー哲学者ネコナガのブログ

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ノーム・チョムスキー『我々はどのような生き物なのか』─本人による入門講義

 ノーム・チョムスキー『我々はどのような生き物なのか』を読む。副題は「ソフィア・レクチャーズ」だが、去年3月に上智大学で行われた講演を書き起こしてまとめたものだ。しかし、二日間にわたる講演の全文(質疑応答含む)のみならず、講演直前に行われたインタビュー、そして編訳者による長めの解説も収録されており、全体として「チョムスキー」その人についての格好の入門書となっている。もちろん、最新の見識でもあるので入門に留まるものでもないのだが。

 

 チョムスキーは、どう紹介してよいのかわからないが、ともかく現代世界最高の知性を持つ人物の一人とされている。本書の編訳者の一人である福井直樹氏(MITでの直弟子でもある)は講演前の紹介で、紹介することは「不必要であり、不可能」と述べている。ともかく短時間では無理、とのことだ。したがってチョムスキーが被引用数ランキング上位に入っていることなどを述べるにとどめている(まだ業績が世に出てから半世紀ほどだが、マルクスやフロイト、プラトンや聖書と同じくらい言及されているのだ)。

 

 チョムスキーは、「言語学者」としての側面と「政治活動家(思想家)」としての側面があると一般に言われる。しかし、政治的な事柄に関与したがらない風土もあって、日本では長らく後者の側面はほとんど無視されていた。言語学での業績の方は「革命」と呼ばれただけあって驚くべきスピードで日本にも紹介されたが(60年代)、政治的側面が注目されるようになったのは、同時多発テロ以降、つまり21世紀になってのことである。

 実際はチョムスキーの科学者としての人格と活動家としての人格はまったく別のものではなく、むしろ密接にリンクしているのだが(このことは本書を読めば自ずと明らかになる)、だからこそ両方を一度に紹介することが必要だということで、満を持して開催されたのが本講演であった。「我々はどのような生き物なのか」というテーマだが、初日は「言語の構成原理再考」、二日目は「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」というタイトルだ。

 講演当日について言えば、二日目は予約制、初日は整理券方式の先着制だったのだが、講演は夕方だったにもかかわらず朝から長蛇の列で、午前中のうちには整理券はなくなっていた(定員は確か700人)。おそらく野次馬も大勢いたのだが、何クルーズがきているんだというくらい文字通り老若男女が集っていた(もちろん有名な研究者も混じっていた)。そんなことを知っているのは私もそこにいたからであるが、とても貴重な機会であった。ちなみに、講演の動画は公開されている(http://ocw.cc.sophia.ac.jp/140305linstic/)。

 

 ここでは、講演の内容を少しだけとりあげてチョムスキーを紹介したい。本書に収録されているインタビュー部分については、聞き手の二人も高度な専門家だけあって私には理解できないところもあるのだが、言語学にまったく親しみがない人もおそらく、初日の講演部分を読めばチョムスキーの発想の概要はわかるであろうし、またインタビューを読めば、少なくとも現代の言語学がチョムスキー以前の言語学といかに根本的に異なるものであるかがわかるだろう。

 

 さて、初日は言語学者チョムスキーとしての「言語の構成原理再考」である。チョムスキーの言語学的業績は、一言でいえば「言語学」を自然科学にしたことだ。どういうことかといえば、伝統的な言語学では、音声言語であれ、文字言語であれ、手話言語であれ、要するに「外に出てきたもの」を主な考察対象としていた。そして記録されたそれらを整理して、比較したり分類したりするのが言語学の仕事であった。つまり、あくまでも記述的なものであったのだ。

 しかし、チョムスキーはそうした「外に出てきたもの」はどこまでいっても二次的、副次的なものだと説く。かわりに頭の中にある方、つまり、結果的に「外」に出てくるそうしたものを生み出すような、人間の「能力」の方に注目したのである。だからここでは、「言語」という言葉の意味がまったく違っている。チョムスキーにとって言語とは、脳という生物学的器官のはたらきの一つとしての、情報処理の構造のことなのである。

 したがってこれを探ろうというのがチョムスキー以降の言語学の流れとなるが、チョムスキーはこの人間の脳内情報処理構造をあくまでも「数学的に」記述しようとしたのだ。だから言語学は、ここにきてまぎれもなく「科学」となった。ちなみにこれは「認知革命」とも呼ばれており、心理学における行動主義からの大転換、またコンピュータ科学の台頭ともあいまって、「認知科学」という現在にまで続く最先端科学を生み出す契機にもなった。ともかくチョムスキーの業績は、分野を超えて重要なのである。

 

 さて、講演にでてくる例を挙げてみよう。たとえば、「instinctively, eagles that fly swim」という文がある。意味は、「本能的に、飛ぶ鷲が泳ぐ」である。この日本語の文も意味不明だという人もいるかもしれないが、鷲は水中の獲物を引き上げられない時、捉えたまま岸まで引きずってバタフライのように泳ぐことがあるのである。そして、鷲が泳ぎを練習しているところをみた人はいないから、普段「飛んでいる」鷲は、いざとなれば「本能的に泳ぐ」のだとわかる。

 ともかく、ここで重要なのは、「本能的に泳ぐ(instinctively swim)」のであって「本能的に飛ぶ(instinctively fly)」のではないということだ。しかし、「instinctively, eagles that fly swim」という文を見てみれば、「instinctively」に線的距離で(文字列として)近いのは「swim」ではなく「fly」の方だ。にもかかわらず、この「instinctively」は「swim」の方にかかっているのである。となれば、言語はその演算原理として「近接性」を採用していないことになるであろう。

 もし、人間がまっさらの状態から学習「のみ」によって言語を学ぶのだとすれば、これは不合理である。なぜなら、近い方にかかる方が演算としては単純で、効率的だからである。つまり、実は「処理のしやすさ」は言語の基本的構成原理では無視されているのだ(もちろん英語に限らない)。かわりにわれわれは、「構造依存的」に情報処理を行っているのである。つまり、「構造」が先にあるということで、それは学習によって身につけるのではないと考えられるのである。

 そもそも、このような構造をも学習によって身につけているのだとしたら、幼児(言語学習者)が驚くほど短期間で言語を操れるようになることを説明できない。先にみたように、言語の基本構造は実はとても複雑で、しかも幼児が参照できる「データ」は、周りの大人が話しているような、不完全で、断片的で、誤りを含むものだけだからである。しかし、事実として幼児は、短期間で完璧な言語能力を「習得する」。このことから、以下のことが推論される。

 

  1. 幼児は言語能力を「習得」しているのではない。
  2. 幼児は脳内に生得的な言語構造を持っている。
  3. 学習によって得られるのは「どんな個別の言語を使うか」の判断のみである。

 

 つまり、幼児は言わば、どんな言語でも話せるようになる「普遍文法(universal grammar)」を「生まれ持っている」と考えられるのである。したがって生後に幼児が収集するデータ(経験・記憶)は、「どんな個別の言語に特化するか」を方向づけるのに役立つのみである。チョムスキーは単に哲学的にこう言っているのではなく、科学的に、諸研究データと整合的な結論を出そうと思えば、このように考えざるを得ないのだ。ここまでの話だけでも、インパクトは十分に伝わるだろう。

 これを裏から言えば、表面的な文法がどれほど違っていても、人間が話すどんな言語も根本構造は同じということになる。だからチョムスキーに言わせれば、知られているいかなる自然言語も、言わば「人間語」という一つの言語の「方言」に過ぎないのである。これに従えば、妥当な推論として「人類にとって言語能力は、何らかの遺伝的変異によって、初めから完璧に、突然与えられた」と考えられ、「言語はコミュニケーションの手段として進化した」という通説は、まったくの誤りということになるのである。

 

 ひとまず、初日の講演はこのような言語学者チョムスキーの基本的な考え方を平易に説くものとなっている。チョムスキーの本はインタビュー形式のものが膨大にあるが、学術的に厳密な形式で書かれたものを除けば、このように一方的に語っているもので短くまとまっているものは少ないから、この講演が文字化されたのは初学者にとってとても助けになるであろうと思う。日本では残念ながら保守的な言語学者が理解もせずに批判している概説書まであるから、本人による入門というのはとても貴重だ。

 

 さて、二日目に進む。「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」である。チョムスキーの政治的態度は一貫しており、それは古典的リベラリズムの系譜につらなるものだ。基本的には、ミルが『自由論』においてフンボルトから継承した「人間が、その多様性を最も豊かに示す形で発展することが、本質的かつ絶対的に重要なこと」という原理を前面に打ち出すものだ。

 それゆえに、多様性を発揮するべく「個人の自由を抑圧しているもの」を解除することが基本的に目指すところとなる。そして、それは必然的に「権力」に抗うものとなる(だから現代における古典的リベラリズムのあらわれとして、チョムスキーの態度はアナキズム寄りとなる)。チョムスキーは、ことあるごとに取り上げている「新自由主義者の欺瞞」を本講演でもとりあげている。

 新自由主義とは、時に「市場原理主義」ともいわれるが(これには誤解もあるのだが)、要するに自由市場(国家は最小介入)こそ誰にとっても万々歳の結果を導く、とするものだ。もちろんこれには根拠もあるが、その根拠は明確に間違っているものもあり、さらに前提を離れたところで主張が独り歩きしている、というのがチョムスキーの言いたいことである。たとえば新自由主義者のバイブルの一つであるスミスの『国富論』を、ちゃんと読んでいる人はどれだけいるのかと言う。

 

 有名な話だが、『国富論』で「神の見えざる手」という言葉が出てくるのはたった一か所だけだ。そして、それはスミスの本筋の主張とは関係ないのである。にもかかわらず、この言葉は自由市場を全面的に肯定するものとして無批判に用いられることしばしばである。これもチョムスキーだけが主張しているわけではないが、スミスの思想は人間には生得的な「共感能力」があるということを前提にしており、だから『国富論』は『道徳感情論』とセットで読まねばならないものなのだ。

 あるいは、「分業」の「効用」を説いたものとして扱われている『国富論』には、分業の「弊害」も同じくしっかりと説かれていると指摘している。チョムスキーはそこでのスミスの主張をまとめて、「文明化した社会における政府の課題は、分業を妨げること」だとしているが、これが、巷間信じられている分業の「推進者」スミスの考えなのである。チョムスキーの基本的な考え方は、こうして欺瞞に基づく「新自由主義者」たちの暴走を許していることが、現代世界を悩ましている諸問題の根源だというものだ。

 では、「われわれはどうすべきなのか」。これについてのチョムスキーの態度もまた一貫している。それは「正しい答えなどない」というものである。これは、とても誠実な態度だ。自分の頭でものを考え、自分の意志に忠実に行動せよ。そのことを一貫して説いているのが二日目の講演であった。しかし、だからこそ、質疑応答における質問がほとんどすべて「どうすればいいですか、何かアドバイスをください」型だったのは、とてもがっかりしただろう。

 以下、質疑応答からいくつかのチョムスキー発言を抜粋しておきたい。

 

 過去二〇〇~三〇〇年間を含む人類の歴史全てにおいて、社会変革のためにはただ一つの方法しか知られていません。そしてこの方法は全歴史を通して用いられてきたものです。それは、民衆による広範な組織化と活動です。(p.90)

 

 情報はいくらでも入手可能です。実際、主流メディアにおいても、たくさんの情報を手に入れることができます。もちろん、情報が歪められている可能性はあります。(中略)でも、我々が情報へのアクセスを持っていないということはありません。海外の報道を読むこともできますし、学術雑誌を読むこともできます。情報は大量にあるのです。ただ、それらの情報は皿に乗せられた状態であなたに差し出されているわけではありません。あなたに差し出されているものは、支配者たちがあなたに信じさせようとしているものなのです。(p.94)

 

 アドバイスを求めるのは、本当に間違いです。なぜなら、アドバイスの内容は明らかだし、それは何の指示もないのに人びとが歴史上常に従ってきたことだからです。社会というものは、そうやって変化していくものです。私が言及した公民権運動や女性解放運動、あるいは過去十五年間におけるラテンアメリカの変化を考えてみてください。誰もアドバイスなど求めませんでした。関わった人びとは、自分たちで行動を起こしてやり遂げたのです。こういった状況において、相対的に恵まれている我々のような人間には多くの機会が与えられています。あなた方にはアドバイスは必要ありません。必要なのは、与えられている機会を追求する意思です。(p.106-7)

 

 チョムスキーの魅力は(私が魅力を感じるすべての人に共通していることでもあるが) 、徹底して理性を行使しつつ、その裏に物凄い情熱を持っていることである。情熱が理性を行使させている、と言ってもよいであろう。その情熱が伝播して、周囲の人をも変革者たらしむる。理性に裏打ちされた情熱、そして情熱に裏打ちされた理性。理性と情熱が、車の両輪のように同時並行的に動いた時、チョムスキーのような人物が生まれるのだ。興味を持った人には、最初の一冊として本書をおすすめしたい。

 

 

我々はどのような生き物なのか――ソフィア・レクチャーズ

我々はどのような生き物なのか――ソフィア・レクチャーズ

 

 


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