フリー哲学者ネコナガのブログ

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小室直樹『日本国憲法の問題点』─第九条の議論の前に

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 少し前に小室直樹氏について紹介したが、久しぶりに氏の著作を次々と読んでいると「今こそ、広めておくべきだ」と思う本がたくさんあった。そこで、昨今の状況に引きつけながら、今回は『日本国憲法の問題点』を紹介してみたい。2002年のものだが、2013年に『憲法とは国家権力への国民からの命令である』として再刊されている。ビジネス社編集部を褒めたい。

 

 まず、再刊タイトルが「憲法とは国家権力への国民からの命令である」となっていることに注目しよう。これは、近代国家の常識である。本当は原題の方が本の内容を表すものとしては適しているが、おそらくこのことにびっくりする人がいるほど、日本では憲法が機能していないということであろう。「日本国憲法は死んでいる」というのは、小室氏の著作でも繰り返し強調されていることである。

 簡潔に書くにとどめるが、「憲法」とは「国民の意思」であるから、意思なきところに成文憲法だけがあっても、それはもはや憲法ではない、ということである。学校では「憲法とは法律の法律である」みたいに教わるが、法律と憲法は全く正反対のものであり、前者は国家から国民への命令だが、後者は国民から国家への命令である。このことは日本国憲法第九十九条からもはっきり読み取れる。

 国家が勝手なことをしないように、事前に国民がその行動を縛る。それが憲法である。ともかく、これが本書を読む上での大前提となる(詳しくは同著者の『日本人のための憲法原論』)。ちなみに、この点から言えば明らかに「上意下達」の形式をとっている自民党の憲法改正案(日本国憲法改正草案)はトンデモ憲法だと断言できる。人権は自然権であり、国家から与えられるものではない。憲法とは、国家という怪物を縛る鎖なのである。

 

 さて、日本国憲法で「最も重要な」条文として著者が挙げているのは、第十三条である。まず、その条文をあげてみる。

 

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 (日本国憲法第十三条)

 

 「生命、自由及び幸福追求」の権利に対して、国家は、「最大の尊重を必要とする」。著者は、これが日本国憲法で最も重要な部分だと説く。そもそも、この発想が近代国家の基礎中の基礎だからである。元々はロックの社会契約説(『市民政府論』)に端を発する考えだが、これなくして近代民主主義は成り立たない。だからこそ、ロックの思想を初めて現実のものとしたアメリカ合衆国では、「独立宣言」にすでにそのことが明記されている。

 

われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福追求の含まれることを信ずる。(独立宣言より抜粋)

 

 著者が第十三条の重要性を強調しているのは、日本人は今も昔も九条論議一辺倒だからだ。昨今は安保法制の議論もあって、ますます第九条だけが日本国憲法であるかのような空気が蔓延っている。しかし、国家は便宜的に権利の一部を委託している「国民」が作っているものだから、その「国民」の生命が侵されることになれば本末転倒、何もかも無意味なのである。だからこそ、第十三条が日本国憲法の根本と言えるのである。

 では、日本国政府はこれを守っているか。否、破り放題だ。著者に言わせれば、拉致問題の放置から経済政策の失敗まで、すべては「憲法違反」ということになる。国民の権利を守れないような国家は、国家ではない。つまり、憲法は文字で書かれているだけでは意味がないのだ。国家がまともに機能するには、主権者たる国民による「絶えざる監視」が必要であり、それがない国は民主主義とは言えないのである。

 

 ではなぜ、日本では憲法が死んでいるのか。それは、大きく二点にまとめることができる。

 一点目は、日本国憲法については、「もともと国民の意思ではなかった」からである。著者は、憲法とは本来的に「慣習法」だということを強調している。慣習なきところに、書かれた憲法だけがあっても意味がない。憲法とは、書いたらそれが根付くのではなく、根付いているものを書いたものだからである。ところが、一方でGHQが作ったものだとしても、曲りなりにもそれを憲法とみなしているのがここでは「慣習」であるから、これを勝手に破棄することもできない。それも問題ではある。

 しかし、二点目である。さらに重要なことは、「教育」というものが死んでいることである。何となれば、これが一点目の問題の解決を一層難しくしている原因でもある。日本では、教育が死んでいる。教育の役割とは、著者によれば「国民をつくること」であるが(この点については今日では異論もあろうが)、著者は、戦前はそれが成り立っていたとみている。しかし、こうした教育の本義は、戦後に「骨抜き」にされてしまったのである。

 

 先に現状を言えば、その帰結と言えるのが、日本の教育システムでは事実上「リーダー」を生み出せなくなっていることであろう。ご存じの通り、これは今でもかなりの重症である。日本の教育システムでは、「エリート」は受験戦争を最後まで勝ち抜いた東大法学部卒だということになっている。しかし、このことからもわかるように、日本の教育システムは「与えられた仕事」をいかに上手に効率よくこなせるか、ということに重点がある。

 しかし、これは明らかにおかしい。なぜなら、これはつまり、「やること」がはっきりしている時にしか通用しないシステムだからだ。そこには、「誰が命令するのか」という決定的な問題がある。いくら命じられた通りに効率よく仕事をこなせても、命ずる人、つまり使命感を持った「リーダー」がいなければ、国家のありかたそのものが議論できない。つまり、主権を持つ近代国家として成り立たないのである。戦後の日本に欠けているのはこの点だ。

 

 では、日本の教育がこうなったのはなぜか。著者は、戦前と戦後の日本の教育システムを比較している。通説では「戦前は軍国主義的、戦後は民主主義的」だと言われるが、これは大間違いだと説く。著者によれば、戦前の教育こそ近代国家にふさわしいシステムであった。詳細は書ききれないが、事実それだからこそ、日本は短期間で近代化できたのである。結果として軍部の暴走によって戦争に突入してしまったが、逆に言えば戦前の日本は、諸外国と戦えるほどに国家として強力であったのだ。

 さて、ここで「憲法」についてもう一つポイントがある。憲法が「国民の意思」とは言え、先に言ったように日本国憲法はGHQが作ったものである。では、そこでの「意思」はいかに解釈すべきか。日本では憲法の「解釈」論がかまびすしいが、そもそも「憲法」とは、時代の流れによって勝手に解釈を変えていいものではないのである。なぜなら、条文の意味は、その憲法を作った人の意思による、というのが国際社会での常識だからである。

 これすなわち、日本国憲法は「時のGHQの目線で」読み解かなくてはならないということだ。そこに「現在の日本人の解釈」が入り込む余地はないのである。つまり、条文が現在の実感や実態と合わなくなっているなら、こじつけによって解釈を変えるのではなく、憲法そのものを書きかえなければならないのだ。それが成文憲法の本来のあり方なのである。

 

 ということで、答えは見えた。日本の教育の堕落は、戦後の非「近代国家」的教育、つまり(GHQが作った)日本国憲法、もっと具体的には押し付けられた「教育基本法」に根本的原因がある、というのが著者の主張である。これは、その誕生からして日本人のためにならないものなのは明らかである。戦勝国アメリカの視点からすれば、日本が戦前のような教育を続けていると、日本国は再び強力な国家となる。そして、歴史の通例として、リベンジマッチをしかけてくるであろう、となる。

 そうならないように、「日本人をおとなしくさせておかなくてはならない」。戦後日本の教育システムは、そのような意図のもとで作られた。それが、日本国の発展につながるものであるはずがないのである。しかし、それならば自主憲法を制定すれば話は終わりかと言えば、そんなはずはない。先にみたように憲法とは慣習法であり、近代国家を運営していくだけのまともな知識と作法が国民のうちに根付かない限り、何をやっても表面的なものであり続けるしかないからである。

 それゆえに、国家の根幹は「教育」にある、というのが著者の強調することである。憲法ももちろん変える必要もあろうし、アメリカとの関係も根本的に問いなおさねばならないだろう。しかし、話は教育からだ。どこまでいっても、国家のあり方が「表面的」なものである限り話は変わらない。つまり、日本人が自前で国家を運営していけるだけの近代人的センスを身につけない限り、国際社会において日本が一人前の国家としてみられることはないのである。

 

 本書を読めば、「国家」としての「日本」の抱える数多の問題点が、まざまざと浮き彫りになってくる。日本国憲法はその問題群の象徴であり、決して平和の象徴などではない。「戦後はいつまで続くのか」という向きもあるが、根本的な事を言えば、日本国民一人一人の意識が変わらない限り、国民主権による「日本国」が成り立つことはないのである。そのことを心から理解するために、今こそ読まれるべき本だ。

 

 

日本国憲法の問題点

日本国憲法の問題点

 
憲法とは国家権力への国民からの命令である

憲法とは国家権力への国民からの命令である

 

 

 


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