フリー哲学者ネコナガのブログ

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『イスラーム基礎講座』渥美堅持─アラブ・イスラーム情勢をきちんと理解したい人に

 渥美堅持『イスラーム基礎講座』を読む。平積みしてあったので買ってみたものだ。著者の本を読むのは今回が初めてだったが、ですます調ながらハードボイルド小説のような雰囲気で、淡々と描かれるイスラーム世界がどこか新鮮だ。

 

 本書の特徴は、タイトル通り「基礎」にあたる知識が網羅的に解説されていることである。章節がかなり細かく分かれており、目次が二段組みで9ページもある。もっとも本文は一段組みだからそんなにぎっしり感はなく、下三分の一は用語解説・注釈となっている(これにも索引がついている)。切れ目が多いから読み進めるのは簡単ではなかったが、ハンディーな事典として使えるな、という感じであった。

 しかし、読み終えると謎が解けた。最後のページに「本書は、1999年に小社から刊行しました『イスラーム教を知る事典』を改題し、大幅に加筆・修正を行い、新たにまとめたものです」と書いてあった。それなら、むしろ事典を通読できる形にしてしまったのがこの本のすごいところだろう。曖昧だったことがハッキリした部分も多く、自分の中でのイスラーム理解が底上げされたのを感じた。

 そもそも、イスラーム世界の特徴は、宗教の戒律、社会の規範、そして国家の法律がほぼまったく一致していることだ。一事が一事、万事と関係していて、ムスリムであらずしてその全貌を知るのは簡単ではない。だから普通は重要な事だけを強調して理解を目指すような解説が多いが、本書を読んで、あえて細切れにすることで全体像が見えてくることもあるのだと知った。

 

 元々が事典というだけあって、一つ一つの事柄についての解説はきわめて短くすっきりとしている。たとえば「ジハード(聖戦)」についてみてみる。ジハードが、積極性を持った「布教のための侵略戦争」ではないことは誰でも知っているだろう。しかし、では何なのかと言われたら、簡潔に説明できる人は少ないのではなかろうか。本書では、ジハードは「奮闘努力」と訳すのが適切だと解説している。

 「イスラーム教はこの世を二つに分けました。『平和な世界』である『イスラーム教世界』と『戦争の世界』と呼ばれる『非イスラーム教世界』の二つです」(p.303)。そもそもイスラム教は、部族意識を超えた統一を図る「超部族意識」を担保したことに意義があった。だから第一に重要なのは、そうしてできた固有の「イスラーム世界」を守ることだ。つまり「聖戦」とは、その「イスラーム世界」を守るための防衛行為なのである。

 したがって、ひと言でいえば「イスラーム教世界、すなわちイスラーム共同体(ウンマ・トル・イスラミーヤ)の外からはもちろんのこと、内側に生じる崩壊の要因を取り除くための努力」(p.302)となる。とてもわかりやすい。それなら、いわゆる戦争・紛争のスケールに限らない膨大な「行為」を含んでいることになるから、「聖戦」とは「行為」の名前ではなく「観念」なのだとわかる。

 

 こうして観念を一つ一つ知っていくことが、イスラーム理解の地道な作法だと言えるだろう。「観念」とは、言葉で表せるものではない。だから、自分なりに臨場感をあげつつ独特の「感じ」をつかんでいくしかない。前回の記事では大局的な流れをみる一例を紹介したが(小室直樹『日本人のためのイスラム原論』~今こそ内在的論理をつかむべし)、何事であれ理解するにはミクロとマクロ両面からのアプローチが必要である。

 さて、ミクロレベルという意味では、日本人にとってはやはり「言語」の隔たりを念頭に置いておくべきだろう。言語の違いは観念体系の違いに直結するし、言ってしまえば観念体系の違いが「文化」の違いだからだ。現代のわれわれが使っている日本語においては、抽象的な語彙はかなり多くが西洋諸語からの翻訳によってできたものだ。それだから「翻訳」してもある程度は理解できる。

 一方でアラビア語となると、日本語とはほとんど交流がない。文化的にも何も重ならないから、隔たりはますます大きい。したがって先の「ジハード=聖戦」の例からもわかるとおり、言葉による類推で理解するにはかなり無理がある。そもそも根本であるクルアーンすら、アラビア語が読めない人には読めないのだ(クルアーンはアラビア語のものだけが正式で、翻訳版はクルアーンとはみなされず「参考書」となる)。

 

 しかし、馴染みがないながらも、知らないことは学ぶしかない。どこまで理解できるかは別として、理解しようとする姿勢が共存につながる。異文化、異宗教、異民族を理解するとはそういうことだ。そろそろ、世界中の3人に1人がムスリムというところまできている。前回紹介した『日本人のためのイスラム原論』とあわせての読書をすすめるが、本書を読めば、少なくともニュースを「誤読」することは間違いなく減るであろう。

 

イスラーム基礎講座

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