フリー哲学者ネコナガのブログ

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寿命が延びた社会をどう生きるのか(3)民主主義の基本にかえろう

nekonaga.hatenablog.com

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 「寿命が延びた社会をどう生きるのか」について考えていたところだが、第三回目になってしまった。今回で終わりである。第一回では「問題を自分のこととして考えておく必要がある」ということについて、そして前回は考える上での最低限の科学的知識についてみた。今回はまとめ的なものになるが、「寿命が延びた社会についてなぜ考えていなければならないのか」、あるいはもっと一般に、「なぜ、専門家でもないのに、ありとあらゆることを常々考えている必要があるのか」についてみてみたい。

 

 前回は科学的な基礎知識の話であったが、あくまでも細胞レベルでの話にしぼった。本来は「寿命を延ばす」にはもっといろいろなアプローチがあるのであるが、あえてそこだけにしたのは、細胞レベルでのこうした問題は、巷で思われているよりもはるかに大きな影響をもたらすからである。

 つまり、それは単に「寿命が延びるのはアリかナシか」という話ではない。問題は、自然環境の中でいち「生物」として存在して、次第に「文明」という形で「環境」をコントロールするようになった人間が、ここにきて「自分自身を操作する」という別次元での営みをはじめ始めているということである。このことのもつインパクトは、いくら強調してもしすぎることはない。

 「細胞」や「DNA」といった領域でのこうした理解が進むにつれて、たとえば植物に対して行った「遺伝子組み換え」や、あるいは「出生前診断」についての議論、つまり「人間が神を演じること」についての議論はこれまでにもなされてきたが、私がみている限りでは、こうした問題意識は一般的にはまだほとんど共有されていない。というより、個別の問題に終始して、大きな枠組みが認識されていない。それだからこそ、ここで「寿命が延びる」問題を踏み台にして、もっと大きな話をしてみたい。

 

 前回みたような、細胞レベルでの寿命を伸ばすための比較的新しい二つの方法に共通するのは、いずれも「自然の摂理を超越して」ということであった。もちろん、どこまでを「自然の摂理」と呼ぶかは別の話だが、少なくとも細胞レベルでのこうした技術は、これまでの「環境を操作する」ような技術とは根本的に異なるということをよく確認しておく必要がある。

 もちろん、人類がそれなりに早い時期からやっていた「病気を治す」といったことだけでも、ある意味では自然の摂理に抗っている。しかし、重要なのは、そこまではまだ「人間の営み」として捉えることができたということである。なぜなら、そこでは「人間」という存在レベルでのあり方そのものは動かせなかったからである。つまり、人間が「人間として」何を行おうとも、自然の中で「人間であること」自体は変えられなかった。

 しかし、寿命を延ばしたり、「病気」を「撲滅」したりといった形で、自然の中での「人間のあり方」そのものを操作できるようになると、それはつまり、シンプルに「自然の摂理」が局所的にはたらかなくなるということである。「それが目的じゃないか」と思う人もあるかもしれないが、自然の摂理がはたらくなることには、確かに局所的なメリットもあるかもしれないが、大局的なデメリットもある。

 

 たとえば、それによって人類が絶滅する可能性が高まることになる。なぜなら、端的に「人類」という「種」に対して「進化」のメカニズムがはたらかなくなるからである。要するに「進化できない」ということであり、それなら、進化論的に言えばその帰結は「絶滅」である。もちろんこれは極論であって、ただちにそうなると言いたいわけではない。しかし、構造的にはそうなる可能性をはらむということは理解しておくべきである。

 

 おさらいしておくと、進化論でいう「進化」とは、環境のリソースから言って生き残れる者の数に限りがある時、生き残った者が遂げていた変化のことである。ここで「生き残る者」と「生き残れない者」を分かつのは、今風に言えば「遺伝子」であるが、遺伝子の違いによってさまざまな「あらわれ方」があるからこそ、たまたま環境に適応できたり、できなかったりして、たまたま生き残るか、生き残れないかが決まる。

 つまり、「遺伝子」が画一的ではなく「多様性」をもっているからこそ、環境が変わっても適応できる者がいる確率が高く保たれ、したがって生き残れる者がいる確率が保たれる。そして、この遺伝的多様性を担保しているものの一つが、「世代交代」なのである。だからこそ、そもそも「老いて」「死ぬ」ということ自体が生物にプログラムされているのであり、つまりそれは、遺伝的多様性を担保するための戦略の一つなのである。

 当然ながら、DNA自体は生きている間に損傷を受けたり、転写の際にミスがあったりして書き換わる。そのようにして変異が蓄積され、そして世代交代が次々と進むがゆえに、その組み合わせが次々と生じて、多様性を担保できる。つまり、寿命を延ばすことは本人にとってはいいことでも、「種」にとってはその限りではないかもしれないということである(一応言っておくと、私はここで個人的な価値判断については語っていない。ただ論理的な主張の一つを紹介しているだけである)。

 あるいは、多様性を担保するということでいえば、そもそも生物が「有性生殖」をはじめたのも同じ理由である。つまり、偶然の損傷やエラーを待つよりも、異なる二個体(雄雌)のDNAを積極的にシャッフルした方が、効率的に多様性を担保できる(もちろん意図的にそうしたのではなく、たまたま実現したこの方式が実際に適応能力が高かったから、この方式が生き残っているのである)。そこには生命40億年の長い歴史があるのである。 

 

 そうしてみれば、結果として「病気」を生み出すような遺伝的「欠陥」も、実は同じ機能を果たしているということがわかるだろう。これまでは遺伝子レベルで操作することは、「してはならない」以前に「できなかった」から、「病気」の原因そのものが遺伝子にある場合も、ともかく実際に現れた症状に対処するしかなかった。しかし、もし根源である遺伝子そのものを人為的に書き換えるようになれば、それはつまり、遺伝的多様性をわざわざ減少させることにもなるのである。

 何となれば「癌」も同じであり、癌の撲滅が「人類にとって」いいことかどうかは、したがって「科学的には」とてもグレーなのである。いずれにしてもこのように、細胞レベル、遺伝子レベルで人間の手が加わることになると、それはつまり「人間」が、これまでのような意味での「生物」であることをやめてしまうということなのである。ここから先はつまり「倫理」の次元での議論なので、「科学」の次元ではもともと「問題」そのものが「答えが出る」ような形をしていない。

 

 こうしたことをふまえれば、「専門家でもないのに、なぜ日常的に考えねばならないのか」は明らかであろう。それはつまり、「誰か詳しい人」ならば「より簡単に答えに到れる」ような問題ではないからである。言わば永遠に「答え」が出ない問題であり、だからこそ「どうするのか」について誰もが議論に加わらなければならないのである。当然だが、それが民主主義なのである。正解がないからこそ、「自分の意見」を主張する価値がある。「寿命が延びれば」ということも、それをどうみるかという民意そのものが、何となればこの先の長い人類の行く末を決めるかもしれないのである。

 

 こうした議論の難しさ、そして問題意識を広く一般に共有することの重要性を早くから説いていたのは、たとえばドイツの哲学者ハーバマスであった。ハーバマスは、このようにバイオテクノロジーが発達すると、ある種の行き詰まりに到ることを見抜いていた。つまり、人間が人間自身に大々的に手を加えるようになると、「『人間は』いかに生きるべきか」という問いが、もはや成立しなくなってしまうのである。なぜなら、それ以前に「人間とは何か」がはっきりしなくなるからである。

 そこでは、議論の土台そのものが揺らいでしまうのである。これは他の領域、たとえば人工知能の研究ともかかわってくるが、おそらく近い将来には「寿命が著しく伸びた人間」、「人間化した機械」あるいは反対に「機械化した人間」といった存在が誕生することになるであろう。何となればある種の「死なない人間」さえも現れているかもしれない。そうなればわれわれは、「人間はいかにあるべきか」ということ以前に、「人間とは何か」という、言わば本丸の問いに徹底的に直面せねばならないのである。

 

 こうした議論が蓄積されないままテクノロジーだけが進むと、社会の混乱は明らかであろう。それだからこそ、あらゆる人が問題意識を持って議論している必要があるのである。あるいはもちろん、これは個人レベルにもあてはまる。つまり、問題が向こうから来てから対処するか、それとも、事前に問題を予測して様々な可能性を頭においておくか、ということである。「寿命が延びた社会をどう生きるか」というのは、そうした大きな画の一部であり、そこに「常識的な答え」は、まだないのである。

 

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