フリー哲学者ネコナガのブログ

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『元素─文明と文化の支柱』フィリップ・ボール─周期表だけではない元素の世界

 フィリップ・ボール著『元素』(丸善)を読む。

 

 「なんてストレートなタイトルなんだ」と思われるかもしれないが、これはオクスフォード大学出版局から出ている「Very Short Introduction(VSI)」というシリーズの一冊である。これまでに350タイトルほど出ているが、40以上の言語に翻訳されている。ちなみに、ケンブリッジは学術書しか出さないが、オクスフォードは一般向けの本も数多く出版するという特徴がある。

 日本語訳については、以前は岩波から「一冊でわかる」シリーズとして少しだけ出ていたが、今は自然科学モノだけがこうして丸善から「サイエンス・パレット」シリーズとして刊行されている。私の場合、原書はけっこう読んだが、前の翻訳は数冊程度、そして「サイエンス・パレット」シリーズで読むのは初めてであった。本書の訳文はですます調であるが、違和感なく読み進めることができる。

 

 さて、「元素」といえば「化学」であり「周期表」である。ところで「化学」というのは、自然科学の中でも「基礎研究がほとんど完了している」という稀有な学問だ。つまり、応用研究はいくらでもあるが、大枠が揺らぐことは、少なくとも今われわれが「科学」と呼んでいる思考スタイルの中にいるうちはない。それゆえに、「いかに教えるか」ということになれば、これほどやりやすいものはないであろう。

 つまり「勉強」としては、「ほぼ出来上がっている表とその相互作用の法則をそのまま叩き込めばいい」となる。あるいは元素ひとつひとつの性質を理解したければ、セオドア・グレイ『世界で一番美しい元素図鑑』がとても売れているように、視覚的に理解してもいいし、「やってみよう」という形で、身近な実験を通して五感を使って学ぶ。いずれにしても、出来合いのものについて順番に学んでいけばいい、となる。

 しかし、「元素がこの世のすべてをつくっている」というよくあるキャッチフレーズは、本当にそれでいいのか。確かに、科学的にはそうとも言えるが、実感としてはいまいちつかみきれないというのが非専門家の実情であろう。そこで、バラバラにされた元素を順番に見るのではなく、「世界は何からできているのか」という問いの探究の歴史を描くことによって元素を理解しようというのが本書の主旨である。

 

 したがって本書では、「周期表を参照しながら個別の元素に言及する」という、元素を扱ったあらゆる本に頻出する場面がほとんどない。かわりに、「世界の物質的根源」を探ろうとする西洋での人々の営みが次々と描かれる。はじまりは古代ギリシアであるが、そもそも「万物の根源(アルケー)」の探究が「哲学」のはじまりであり、「万物は水からできている」としたタレスがその創始者とされるのは有名な話だ。

 その後、さまざまな哲学者が自説を展開し始めるが、ひとまず「土・水・空気・火」の「四元素説」に落ち着き、アリストテレスもこれを引き継いだことで、議論は収束の方向へ向かう。その後、西洋ではキリスト教の論理が支配的となり、あらゆる学問を体系化したアリストテレスの「呪縛」がどの分野にもあったため、次なる発展には時間がかかったのはご存じの通りだ。

 ところが、「元素」においてはわりと早くから「さらなる探究」への道が拓かれる。そこには、「金(ゴールド)への欲求」という強烈なモチベーションがあったからだ。すなわち「錬金術」である。どうにかして「金ではないものから金を作れないか」ということで、結果的に手当たり次第に物質の性質が調べつくされる。これがのちの体系化された「化学」につながることとなる。

 

 もっとも、当時は今ほどの実験設備はないし、方法論としても手探りであるから、最初から統一的見解があるわけではない。本書では、もっとも議論を読んだ「元素」のひとつとして「フロギストン」があげられている。これは、化学史を学んだことがある人なら誰でも知っている、しかし学んだことがない人は誰も知らない「架空の元素」である。もっとも「悪名高き」とまではいかず、名前をきいたらどこかニヤリとしてしまう人は多いであろう。

 フロギストンが想定されたのは「燃焼」という現象を説明するためだが、要するに物が燃えるとは「フロギストンが放出される」ことだと認識されたのである。しかし、放出されるなら燃えた物は軽くなる、つまり質量が減るはずである。木を燃やせばその通りである。しかし、金属は灰化すれば重くなることは当時から知られていた。そこで、時の人々は「フロギストンの質量はマイナスだ」と言ってごまかすこともあったという。このあたりはとても人間的である。

 ともかく、「架空の元素」とはいっても、確かに現代的な感覚からは「架空の」ものであるが、当時の人々にとっては文字通りリアルな「元素」、つまりこの世界の構成要素であったのだ。本書ではこうした姿勢を貫いており、「現代から見た歴史」ではなく、あくまでもその時々の人々の実感と探究心をしっかり追っている。考えてみれば、「周期表」から得た知識を抜きにしたら、現代のわれわれの実感とてそんなものではないか。

 これについて本書では、先にみた「四元素説」についてのノースロップ・フライ(1912-1991)の言葉が引用されている。「4元素はいまの化学にいっさい役立たない。だが……想念の世界で土・水・空気・火はいまなお立派な元素だし、今後ともそうだろう」というものだ。その通りで、この世界は決して物質だけから成り立っているのではないのだ。「周期表」はあくまでも物理的世界についての結論であり、「この世界は…」という問いへの答えの「ひとつ」にすぎないのである。

 

 本書ではほかにも「人類が原爆を持つまで」や、炭素─14年代測定が登場して人類が古代史をより深く知るようになったこと、そして現代にいたるさまざま技術的利用まで、あくまでも「人間」をベースとして「ストーリー」が語られている。元素の探究も単なる「科学」ではなく、もっと広く「人類の営み」のうちにあるとわかれば、学ぶのもずいぶんおもしろくなる。「化学」とて無味乾燥なものではなく、うしろには喜怒哀楽のストーリーがあるのである。

 

元素 (サイエンス・パレット)

元素 (サイエンス・パレット)

 

 

The Elements: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

The Elements: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

 
The Elements: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

The Elements: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

 

  原書シリーズは洋書を扱う書店なら基本的にどこでもおいてあるが、ほとんどの巻にキンドル版もある。

 

元素をめぐる美と驚き―周期表に秘められた物語

元素をめぐる美と驚き―周期表に秘められた物語

  • 作者: ヒューオールダシー=ウィリアムズ,Hugh Aldersey‐Williams,安部恵子,鍛原多惠子,田淵健太,松井信彦
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/11
  • メディア: 単行本
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  ちなみに、ついでにおすすめしたいのがこれだ。要するに元素は人から見るか、人を消して自然を見るかというはなしだが、本書も前者である。同じく「化学」や「周期表」にとらわれず、歴史上のエピソードをこれでもかとちりばめていて、あるいは人文科学的に「元素」を理解できるようになっている。


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