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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

「言行一致」は本当に必要なのか─人類史における「言」の意義

人間・自然・社会

 「言行一致」という言葉がある。これは読んで字のごとく「言うこと」と「行うこと」が一致していることで、意味はそのままだ。現代日本でよく耳にするのは、報道などでとくに批判的に「言行不一致」という場合であろう。何となれば政治の世界は言行不一致ばかりである。

 類似の言葉として、英語には「a man of his word」という言い回しがある。「he is a man of his word」といえば「信頼に足る人だ」という意味である。そこではつまり、言うことと行うことが一致しているのは「信頼」の条件だという価値観も同時に表現されている。「言行一致」は誠実な人間のあかしだというわけだ。

 

 ところで、「言行」について論じるなら、そもそも「言うこと」と「やること」を横並びにさせていいのか、という問題がある。これはいささか微妙であろう。なぜなら、ふつうに考えれば「言うこと」というのは「やること」の一部だからだ。つまりこれは「部分が全体を反映しているか」というはなしなのである。

 あるいは、あらゆる生物が「やること」のうち、「言うこと」というのは人類だけがやっていることであるから、そうしてみれば「言うこと」というのがいかに狭い範囲のものかわかるというものだ。ところが厄介なのは、あらゆる「やること」の中でも、人間の場合は「言うこと」の重要度が突出して高いということである。

 

 それゆえに「言」に「行」を代表させるという発想にもなる。何となれば、よく言われるように西洋社会は「はじめに言葉ありき」である。これは伝ヨハネ福音書の最初の一文だが、『キングジェームズ版聖書』から引用すると「IN THE beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God」である。

 せっかくなので日本聖書協会の『文語訳聖書』から訳文を引用すると、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき」である(新字体に直した)。ここでは「the Word」とあり、また「言葉」は「神の言葉であり、神そのものである」と言っているのだから、われわれがふつうに使う「言葉」という言葉とは意味が違うことがわかる。

 つまるところ、これは「概念」を指しているとされる。人間は「心」の領域が非常に広いから、ありとあらゆる「モノ」はそのまま鏡に映すような形で認識するのではなく、人間の認知構造に固有の形(種レベルでの記憶)に依存するとともに、生まれてから体験したことの取捨選択の歴史(個人レベルでの記憶)に影響を受けている。要するに、なんとでもなる。

 簡単に言えば、物理的な世界で「モノ」を扱うのと同じように、頭の中でリアリティを作り出している要素が「概念」だということである。脳にとっては、われわれが「物理的なモノ」とみなしているものと、「心の世界でのもの」とみなしているものには根本的な違いはない。言わば、人間は物理宇宙「を含む」「情報宇宙」に生きているということになる。これは認知科学の基本的な世界観である。

 そして重要なのは、人間にとってのリアリティはほとんどまったく「言」によって構成されているということである。それだからこそ、「神(言)がすべてをつくっている」という発想にもなる(汎神論という)。話が多少それたが、いずれにしても「人間にとってのリアリティ」はほとんどまったく「言=概念」によって構成されている。それがポイントである。

 

 それゆえに、これは権力論とも結びつくことになる。何となれば、人類史の最初から現代まで、権力を握っているのは「言語操作能力」に長けた人だからである。近代以降に顕著となった政治的プロパガンダや資本主義的な宣伝様式などはもちろんその典型だが、もっと古い時代の人類集団内においてもこれはかわることがない。

 言語を使うことが「人類の特徴」のひとつだということは論を俟たないであろう。もっとも、「コミュニケーションを通して協力しはじめた」といういたって純粋な解釈には異論の余地がある。何となれば、「言葉」という次元の登場によって「ここにないもの」を「実際に目の前にあるもの」と同じリアリティで表現できるとなれば、同じ程度に悪用も可能だからである。

 つまり、「ここ」どころか「どこにもないもの」を「ある」ということもできるようになる。詐欺の始まりである。実際問題として、人類史の動向を左右したという意味では、こちらの側面の方が注視されるべきであろう(このあたりは、Heather Lynn『Anthrotheology: Searching for God in Man』がおもしろい)。つまるところ、いつの時代でも言葉巧みに多くの人々を欺くものが権力を握るのである。

 

 さて、このように人間のリアリティが圧倒的に「言」によっているということで考えると、「言行」という言葉については別の解釈も可能である。つまり、「情報宇宙」での結果と「物理宇宙」での結果を両方合わせた言葉、ということになる。それなら、外から見えるのは「行」の方だけであるから、結局は通説に戻って「言っていることではなく、やっていることを見ろ」ということになる。

 いずれにしても、人間が言語を使う限り、「言」の方の「信頼性のなさ」は常に心に留めておくべきである。何となれば「言」は、ただ人類史の都合上リアリティを感じやすくなっただけであって、根本的には根拠を担保できるものではない。「嘘をどう見抜くか」というのは誰もが知りたいところであろうが、嘘もまことも、言葉は言葉なのである。事実をみていれば、言葉の真偽を議論することそのものが不必要となる。

 したがって「言行」が「一致かどうか」ということは別の問題として、ひとまず人を知りたければ、あるいは事実を知りたければ、「言」の方は脇に置いてひたすら「行」の方をみるべきであろう。極端に言えば、人を知りたければ、本人の言うことに耳を傾けてはいけないのである。なんだか暗いが、無批判に信頼してばかりでも関係というものは成り立たないので、時にはこういう視点も必要なのであろう。

 

Anthrotheology: Searching for God in Man

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 Heather Lynn博士は考古学からいわゆる「真の歴史を探る」ようなことをやっている人であるが、『The Sumerian Controversy: A Special Report: the Elite Power Structure Behind the Latest Discovery Near Ur』がとてもおもしろかったのでこれも読んでみた。品切れだったが、本人に連絡してみたら親切にも再版中だと教えてくれた。現在はふつうに買える。残念ながらLynn博士の本が邦訳される気配はないが、出たらたぶん、陰謀コーナーに並ぶであろう。

 

Holy Bible: King James Version Black Leather-Look Gift & Award Bible (Bible Kjv)

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小型新約聖書 詩篇附 - 文語訳

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