フリー哲学者ネコナガのブログ

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お経を読んでみよう(第十二回)もろもろの憂いの生ずる根拠を、知り尽くしたからである

 今回は『テーリーガーター』というお経をとりあげよう。これは最初期のお経の一つで、『テーラガーター』と対になるものである。それぞれ『尼僧の告白』『仏弟子の告白』として中村元訳で岩波文庫に入っているが、あまり同じ訳者ばかりではおもしろくないので、前回と同じ中村元編『原始仏典』から早島鏡正訳のものをとりあげよう。ここにあるのも全訳である。ちなみに「ガーター」とは「詩」のことで、「テーリー」は「テーラ(長老)」の女性形である。

 内容としては、タイトルの通りそれぞれ男女の出家修行者があらわしたもので、修行に入るきっかけや心境などがつづられており、初期の仏教の雰囲気をよく伝えるものとなっている。形式としては「詩」であるが、全体が短い『テーリーガーター』の方は合計九十二人による五百二十二の詩から成る。編集方法がおもしろく、「一つの詩句集」「二つの詩句集」といった形で章分けされているが、これは同一人物による詩が合計いくつ残されているかによって分類しているのだ。

 

 さて、ひとまず、ひとつとりあげてみよう。

 

 「村人は、わたしの身代金が、カーシー国の全人民の所得にも匹敵すると見なして、価なきわたしを、価のなかの価だと値ぶみした。そのとき、わたしは、もろもろのいろ・かたちを嫌悪した。わたしは、嫌悪して、欲を離れた。また再び、生〔死〕輪廻を経るべきではない。わたしは、三種の明知を現にさとり、ブッダの教え〔の実行〕を成しとげた アッダカーシー尼」(p.248-9)

 

 この詩を残しているアッダカーシー尼は「遊女」だったそうだが、遊女は当時かなり儲かる職業の一つであったらしい。「カーシー国」はヒンドゥー教の聖地であるヴァーラーナシーのことだが、巨万の富を蓄えた家が並ぶところだ。それにも匹敵するほどの「価」とみられたが、それがむしろ悩みだったとのことである。

 要するに、「自分」について、自分の評価と他人の評価が一致しておらず、そのために「なんなのだ」となった。ところが釈迦の説くところを学んだところ、そうしたフィルターそのものが無意味であると悟ったのだ。こうしたことからも、釈迦の教えがとても身近なもので、日常的な悩みにも適応されうるものであることがわかる。

 

 あるいはほかにもいくつかあげてみよう。いずれも、現代においても人々がふつうに抱くような悩みを解消するために、釈迦の説法が役立っていることをよく示している。

 

 「よく脱れた尼よ。よく脱れた尼が、杵うつ業を脱れたのは、もっともである。傘作りにも劣るわが夫は、恥知らずであり、わたしの釜のなかは、貧しかった。わたしは、むさぼりといかりをたち切って、日を送る。わたしは、樹の下に近づき、”ああ楽しい”といって、楽しみのために禅思する。 その名が不詳の、ある長老尼の修行者」(p.248)

 

 ここでは、名前はわからないがある女性が、食べるものにも夫にも不満があり、自ら杵をうつ仕事をしていたところ、瞑想によって心が落ち着いたことが表現されている。すべては自分のこころが作り出している苦しみだと悟ったのだ。

 

 「もろもろの本能的な欲望に満たされ、快楽の思いに引きずられ、貪欲の心の虜となったわたしは、心の平静をうることはできなかった。わたしは、痩せて、肌は黄ばみ、醜くなり、七年の間、遍歴した。わたしは、痛苦して、昼といい夜といい、ついに安楽を得ることはなかった。そこで、縄を手にして、わたしは、林のなかに入った。──『再び俗事をなすよりも、ここで首を縊るほうが、わたしにはよいのだ』と言って。堅い吊り縄を作って、樹の枝に縛りつけ、縄を首に投げたそのとき、わたしの心は解脱した。 シーハー尼」(p.252-3)

 

 ここでは、まさに首つり自殺を試みんとしたその瞬間、釈迦の言っていたことの意味がわかったようである。生死の境目にこころが踏み込んだ時、事前に釈迦の説法を耳にしていたことが幸いしたのだ。悩み苦しみは、この世で絶つべし、なのである。

 

 「わたしは、子どもの〔死〕を憂えて悲しみ、心が狂い、想いが乱れた。裸で髪をふり乱して、わたしは、あちこちうろつき歩いた。四つ辻や塵埃捨場や墓地や大通を、三ヵ年の間、わたしは飢えと渇きに悩みながら、歩き廻った。ときに、わたしは、幸福な人〔ブッダ〕が、ミティラー市にこられたのを見た。かれは、いまだ調御されない人々を調御し、なにものにも恐れおののかない覚者である。わたしは、平常の心にたちかえって、敬礼して坐についた。かのゴータマ〔・ブッダ〕は、慈しみをたれて、わたしのために真理の教えを説き示した。かれの説く真理の教えを聞いて、わたしは、家をすてて出家した。師〔ブッダ〕のことばに従って励み、こよなき幸せの道を現にさとった。あらゆる憂いは、すっかり断たれ、捨てられ、ここで終わりを告げるものとなった。けだし、わたしは、もろもろの憂いの生ずる根拠を、知り尽くしたからである。 ヴァーシッティー尼」(p.256)

 

 ここでは、理由はわからないが、自らの子を失った苦しみでほとんど発狂したヴァーシッティーが、釈迦に出会ってその存在感に圧倒され、悩みを解消したことがあらわされている。心から体感していれば、それは存在に現れてしまうものだ。ここではおそらく、体感が伝播したのだろう。自らの悩みは、やはり自分のこころが作り出していると知ったのだ。生けるものは死ぬのであり(諸行無常)、あるいは、自分の子だけをとりわけて尊く思う(愛)のは、「苦」の根源なのである。

 

 ところで、注目すべきなのは、最初期の仏教ではこのように男女の区別がなかったことである。のちの経典には女性差別的な文言も出てくるが、最初期の経典にはみられない。女性の出家は「布一枚で路上に寝ていたら危ない」といった実践的な理由からひかえられていたのみであり、釈迦の存命中に女性の出家者は続々とあらわれていたのである。これについて岩波文庫版『尼僧の告白』の解説では、ギリシア人メガステネースが、インドを訪れた際の旅行記に次のように書いていると紹介している。

 

 「インドには驚くべきことがある。そこには女性の哲学者たち(philosophoi)がいて、男性の哲学者たちに伍して、難解なことを堂々と論議している!」(p.120)

 

 こうした事実には、仏教が平等志向を内包していること、また実践的にも誰彼かまわず通用することが示されているといえるだろう(何しろ「人」にすら限らず、「すべての生物」である)。たとえばカトリックでは今でも、神父(ファーザー)に対して女性はどこまでいっても「シスター」であるが(「マザーテレサ」は愛称にすぎない)、多くの宗教はこうした不平等思想を内包している。しかし、仏教では始まりにおいてそのようなものがなかったのだ。まさしく世界に通じる仏教であろう。

 

原始仏典

原始仏典

 

 

尼僧の告白―テーリーガーター (岩波文庫 青 327-2)

尼僧の告白―テーリーガーター (岩波文庫 青 327-2)

 

 


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