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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

「大統領アラート」なるものについて─権力の絶えざる監視

yuichikawa.hatenablog.com

 

 こちらのブログで、「アンバーアラート」なるものがあることを知った。

 ブログの筆者はアメリカに在住されている方のようだが、アメリカでは「未成年者の誘拐事件」が発生した際、捜査協力的な意味であらゆる端末にアラートが届くらしい。調べたところ、それが今では携帯電話やスマートフォンについても九十数パーセントが受信可能になっているとのこと。不勉強であった。

 日本でも地震速報や災害時の避難情報などは送られてくるが、それと同じ仕組みで未成年者の誘拐事件の発生も知らせているということだ。犯人や誘拐された児童がはっきりしていれば早期発見に役立つし、実際に成果も出ているようなのでこれはこれでいいのであろう。

 地震速報についても、たとえば日本のテレビではデジタル放送を導入してから遅延時間が長くなったので、せっかくテクノロジーで地震がくる直前に送ることが可能になったのに、地震がきてから「地震がきます」となりかねないから、電波受信という意味では速報性の高い携帯電話の方が有利である。避難情報等もしかり。

 

 ところが、気になるのは、それとは別に「大統領アラート」なるものもあるということだ。そして、災害情報アラートとアンバーアラートについては設定すればオフにできるが、大統領アラートについては切ることができないらしい。つまりアメリカ人の多くは、今で言えば、オバマ大統領からのメッセージは不可避的に受け取らざるをえないのだ。このことは、AT&Tのホームページにもはっきり書いてあった。

 具体的に内容がどのようなものであるかは(過去に使われたことがあるのかどうかも)信頼できる情報源が見当たらなかったのでわからないが、ともかく名目上は「国防上、重要な情報」が流れてくるとのこと。ここで気になるのは、これが「オフにできない」ということである。つまり、電源が入った携帯電話を持ってさえいれば必ず届いてしまうということだ。

 

 ナイーヴに解釈すれば、「重要な情報がきちんと届くのだからいいではないか」ということになるが、民主主義という意味では、これは問題である。なぜなら、選択の余地がないからである。これには、「アラート」という形で、画面に表示されるのみならず音が鳴る、つまり発端として聴覚情報のはたらきかけだということも大きく関係している。少し原理的なことを説明しよう。

 

 われわれの五感のうち、最も強いのは視覚情報である。脳のうしろ三分の一は視覚野であり、またわれわれ人類は視覚情報を用いた情報認識・コミュニケーション方法を発達させてきたので、基本的に80%以上は視覚情報だとされている。ところが視覚情報には、どんな状況であれ、目を閉じれば遮断できるという特徴がある(だから目を閉じるとリラックスできる)。したがって「まぶたの裏側を見る」という選択肢を常にすでに持っている。

 ところが聴覚情報の場合、本来的にこれは遮断することができない。言うなれば常に「イヤーズ・ワイド・オープン」であり、寝ても覚めても入ってくる音を選ぶことはできないのである。一応、耳をふさぐことはできるが完全なものではないし、音波は逆位相を重ねれば聞こえなくなるので「ノイズキャンセリング」の技術はあるが、こうしたものを四六時中使うのは現実的ではない。

 そもそも人類が生き残ってきたのは、むしろ不可避的に聴覚情報から危険を察知していたからということで、そちらが本義なのであるが、逆にいえば、それはいかに「聴覚情報に敏感であらざるをえないか」ということだ。これが、聴覚情報が本来的に「暴力的」と形容される所以である。ましてや、テレビやラジオなら切ればいいが、このアラートはオフにできないのである。そして聞きなれない音が鳴れば、見てしまわざるをえない。

 

 ということで、これをどうみるかという話であるが、構造上、何かに対する印象操作等は容易に可能だろう。プロパガンダ的なメッセージが流れてしまえば、普段とは違うはたらきかけであることもあって、強烈に記憶に残ることは間違いがない(このあたりのプロパガンダの怖さは少しだけ書いたことがある「人を動かす「フレーム理論」とは~George Lakoff『Don't Think of an Elephant!』」)。メッセージは、端末ではなく個人の記憶に直接届くのだ。

 要するに、システムの観点から言えば、新手のメディア・コントロール手段がここには整えられているということだ。「大げさだ」と思われるかもしれないが、たとえばヒトラーのいたところにこうしたシステムがあれば、どのように使われていたかを想像してみるとよい。民主主義国の市民としては、こうしたシステムが新しいインフラとして今後どのように足を延ばしてゆくのか、十分にウォッチしておかなくてはならないだろう。

 

メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)

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