読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

お経を読んでみよう(第四回)すべては「空」である

お経を読んでみよう

 今回はおなじみの『般若心経』をとりあげよう。

 

 これは、前回と前々回でとりあげたような初期のお経とは違って「大乗経典」に属するものだ。日本でも浄土教をのぞいてほとんどすべての宗派が採り入れている。1~2ページのとても短いお経だから、丸暗記している人も多いだろう。しかし、お経というのは悟りへの解説書であるから、ただ唱えるだけでは意味がない。中身をきちんと理解する必要がある。

 

 最初に、とりあげる部分を書いておこう。どこにでも載っているが、ここでは岩波文庫版の『般若心経・金剛般若経』(中村・紀野訳)を参照する。日本で親しまれているのは漢訳なので、ひとまず漢訳をあげておこう。

 

 「是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。」(新字体に直した)

 

 さて、『般若心経』は、正式には『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』という(宗派によって「仏説」や「摩訶」はついたりつかなかったりする)。

 「仏説」は文字通り「仏の説」で、「心経」は中心となるお経という意味である。しかし、「摩訶般若波羅蜜多」はそれぞれ「マハー(大きな、偉大な)」「パンニャー(智慧)」「パーラミター(完成)」の音写だ。つまり、漢字には意味がない。仏教に関連する言葉には音写が多いので注意する必要がある。

 

 『般若心経』が「何を説いているお経なのか」については、いくつかの解釈がある。たとえば、ひとつは「大般若経のエッセンスをまとめたもの」という考え方がある。私は実際にお寺でみせてもらったことがあるが、『大般若波羅蜜多経』はそれだけで本棚がうまるような長いお経だ。そのエッセンスがまとまっていると考えれば、確かにこれだけ広まっていても不思議はない。

 もっとも、仏教の歴史というのは、仏説の解釈の歴史でもある。だから、流派や時代によって考え方はけっこう違う。たとえば空海は、『般若心経』を真言密教的に解釈して「仏説のすべてが集約されている」と書いているが、「それでも余りある」とさえしている(『般若心経秘鍵』)。いずれにしても、大乗仏教では重視されるお経だということだ。

 

 「大乗仏教」についても一応説明しておこう。今残っている仏教は大きく「上座部仏教」と「大乗仏教」に分かれる。上座部は保守的で、初期のお経を重視する。一方で大乗は、釈迦の死後五百年くらい経ってからインドでおこり、とくに中国や日本で発達したものだ。大乗では、在家信者のまま修行に入れるし、誰でも悟れると考える。だからいろいろな人に合わせて仏説を表現しよう、ということで次々とお経が生まれている。

 日本ではまず中国や朝鮮から仏教が伝わったので、基本的に漢訳経典がベースだ。ただし、仏教は中国に入った時点ですでにかなり変質している。言語構造や文化の違いもあるし、儒教や道教の影響もあるからだ。そうした中で、翻訳ではなく、そもそも中国で新たに作られたものを「偽経」と呼ぶ。ここで本題に戻るが、実は『般若心経』は偽経であるというのが今の定説だ。

 その痕跡はいくつもあるが、代表的なものは「無」という思想である。これは道教の思想だが、おそらく道教徒の誤解によって、『般若心経』では「無」が大々的に説かれている形となっている。これは仏教の考えとは根本的に異なるものだ。偽経の中にはたとえば『父母恩重経』という儒教丸出しのお経もあるほどなので、これくらいあってもおかしくはない。 

 

 さて、『般若心経』が偽経だとすると、問題がある。すでにこれだけ広まっているから、単にしりぞけるというわけにもいかない。それなら、仏教の考え方と整合性を保てるように新たな解釈が必要になるだろう。この点でユニークな考えを展開しているのが、苫米地英人氏の『超訳「般若心経」』だ。氏は認知科学者として有名だが、天台宗で得度している僧侶でもある。

 同書での発想を簡単にいえば、細かい部分はいくつかあるが、ひとまず『般若心経』で道教の思想が入り込んでいると考えられる部分、具体的には「無」の部分をすべて「空」に書きかえようということである(つまり「添削」に踏み込んでいて、「訳」を超えているので「超訳」である)。同書から、冒頭にあるのと対応する部分を引用すると次のようになる。

 

 「是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色。受想行識。眼耳鼻舌身意。色声香味触法。眼界。乃至意識界。」(下線は変更部分。対応して読点をつけた)

 

 順に解説すると、まず「是諸法空相」は「すべては空である」(実体はない)ということで、大乗仏教の基本だ。次に、「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」はそれぞれ「生じることも滅することもなく」「汚れることも綺麗になることもなく」「増えることも減ることもない」ということで、「是諸法空相」の強調にあたる。ここまでは同じである。

 その次に「是故空中。無色」と出てくるが、ここが解釈の異なる部分だ。まず岩波文庫版では、これを「この故に、空の中には、色もなく」と訳している。仏教で「色」というのは物質のことなので、つまり「ある」ことだ。したがって「色」と「無」はちょうど正反対の概念になる。次に「受想行識」「眼耳鼻舌身意」「色声香味触法」「眼界乃至意識界」が出てくるが、これはそれぞれ次のような意味だ。

 

  • 「受想行識」─受(感受作用)、想(表象作用)、行(意志作用)、識(認識作用)。「色」(物質)と合わせて「五蘊」という。
  • 「眼耳鼻舌身意」─いわゆる「五感」のもととなる感覚器官のこと。仏教では「意(=心)」も数えるので「六根」という。
  • 「色声香味触法」─「六根」に対応して生じる実際の「感覚」のこと。「六鏡」という。
  • 「眼界乃至意識界」─「見ている世界から意識している世界まで」。これも強調にあたる。

 

 これらをことごとく「無である」としているのが原文である。したがって岩波文庫版では、そのままこれらが「ない」と訳されている。しかし、実はこれでは矛盾が生じる。というのも、『般若心経』にはこれ以前の部分にすでに「五蘊皆空」や「諸法空相」といった言葉があり、すべて「空である」とされているので、ここにきて突然「無である」というのはおかしいからだ。

 説明が遅れたかもしれないが、「空」とは大乗仏教ではもっとも重要な概念で、釈迦が悟ったとされる内容を表現している。簡単にいえば、「空」は「色」と「無」、つまり「ある」と「ない」を包摂する概念で、「あるのであり、ないのであり、あるのでなく、ないのでない」状態だ。したがって「空」は「無」とは次元が異なる概念で、互換性はない。

 そこで苫米地訳では、「受想行識」以下についての「無」をすべて「空」に書きかえている。こうすれば「諸法は空なり」と整合性が保たれるからである。つまり「是故空中。無色。無受想行識。」を「是故空中。/無色。無受想行識。」ではなく「是故空中。無色。/無受想行識。」と切るのだ。そして、「是故空中。無色。」を「これゆえに空の中に無も色もあり」と解釈している。これは卓見だ。

 したがって、「無」を「空」と書きかえるだけで、全体としての整合性が保たれることになる。長くなったが、私も「空」を重視する解釈をとるのが仏教的に正しい態度だと判断するので、「空」に即した方をとりあげたい。そこでこの部分を一言でいえば、「心も身体も、物質も現象も、認識する世界すべては空である」とまとめることができるだろう。これが今回紹介したかったことだ。

 

 大乗仏教的には、「空」を(頭で理解するだけでなく)「体感」している状態が「悟り」である。物事を「ない」とみることをつきつめればニヒリズムに陥るし、「ある」とみれば苦しみや争いが生じる。そうではなく、すべては「空」である。あるようで実体がないし、実体がないからといってないわけでもない。すべては、自分の心が生みだしているのである。

 このように「空」の思想を短くまとめたものとして読めば、『般若心経』は歴史の残滓ではなく、現在に生きるものとして甦るだろう。その意味で今回はあえて添削版をとりあげてみた。

 

 ちなみに、「お経を書きかえていいのか」と思うかもしれないが、相手に伝わるように説くのが本来の「お経」であるから、伝わりづらければむしろかえるのが仏教的な態度である。仏教では、経典を絶対的なものとはみなさないし、釈迦自身も「悟りのためになり、束縛とならないものはすべて私の教えである」と言っている。この柔軟性が仏教の特徴だ。仏教は単なる伝統ではなく、現役の生き方なのである。

 

般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)

般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)

 

 岩波文庫版の解説では、『般若心経』が中国で作られたことを裏付けるかのように、サンスクリット語版の最古のものが日本の法隆寺にあることが紹介されている(漢語版はそれよりも古いものが発見されている)。

 

空海「般若心経秘鍵」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

空海「般若心経秘鍵」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

 

  著作の多い空海だが、原文対訳のものが角川ソフィア文庫にいくつか入っている。空海は、経典の数がこんなにも多いのは「大日如来がさまざまな人に合わせて教えを説き分けているからだ」と考えるので、独自の解釈とともに多くのお経を採用している。空海の言語能力には尊敬の念を抱かざるをえない。

 

超訳「般若心経」 (PHP文庫)

超訳「般若心経」 (PHP文庫)

 

 しばらく品切れ状態だったが、先日文庫化されたので手に取りやすくなった。基本的に歴史実証的な判断を重視して般若心経の実像に迫り、その上で新たな読み方を提唱している。『般若心経』の最後にあるマントラ部分についての解釈もユニークでおもしろい。


© 2015 ネコナガ (id:nekonaga)
Amazon.co.jpアソシエイト