読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

哲学書はなぜ読みづらいのか─読みづらいことにも意義はあるらしい

読書論・メディア論

 「哲学書はなぜ読みづらいのか」。ちょっとおもしろい実験を知ったので、これについて簡単に見てみたい。

 

 一般に言われる「哲学書が読みづらい理由」は、大きく分けて二つあるだろう。一つは(A)内容が難しい場合、もう一つは(B)文体が難しい場合である。哲学書だけ形が特殊なわけではないので、手になじまないという意味で物理的に「読みづらい」ということはない(分厚いものが多いのは確かであるが)。

 

 まず(A)の内容が難しい場合、さらに二つのパターンがある。一つは「そう誤解している場合」である。この場合、本当はあとでみる(B)の理由で読むのを無意識に拒否しているという場合がほとんどである。実際は、読んでみると意外と読めることに気付く。とりわけ、誰でも名前を知っているような過去の哲学者の著作は、大人が読んで難しいものではない。これは、時代を経ることでそこにある考えがいくらか浸透しているからである。

 一方、それでも難しいという場合は、本当に中身が(その時その人にとっては)難しいということなので、これはもう仕方がない。何にせよ「内容が難しくて読めない」というのは、本当は「興味がない」場合がほとんどであるが、興味を持っていない人が哲学書を読んでもあまり意味はないであろうから、興味を持ってから読むしかない。

 

 次に(B)の文体が難しい場合、これには三つのパターンがある。一つは古すぎて現代的な感覚と違う場合であり、もう一つは翻訳書において翻訳に問題がある場合、最後に、何語にせよもともと難解な言葉が使われている場合である。古すぎるという場合、現代語訳が出るのを待つか、我慢して読むしかない。

 あるいは翻訳書の場合も同じである。ここでは文化的背景も違えば言語構造も違うから、自然な文章にならず、読みづらくなるのは仕方がない。いわゆる「翻訳語」、つまり日本語にない言葉を新たに作ったりすることもあるが(元の言葉をみると日常的な言葉だったりするのだが)、これも翻訳という作業においては逃れられないことであるから、文句を言っても仕方がない。こうしたことが気になるなら、結局は最初から原語を学習して原書を読むのがよいと言える。

 最後にもともと難解な言葉が使われている場合だが、これについても、哲学にはつきものであるのでやはり仕方がないと言えるだろう。哲学者の仕事の一つは世界についての新しい見方を提供することであり、そのためには手あかにまみれた既存の言葉を使わずに新語を作り出す必要が生じることもある。これまでなかった言葉なのだから理解は当然難しいが、もっとも定義はその本に書いてあるのだから、あまり恐れることはないだろう。

 余談だが、「難しい言葉」が頻出する傾向はポストモダン哲学で頂点を極め、ここでは新語を作るというより他の分野の専門用語を借りてくる場合も多いが、元の分野の専門家に「指しているものが全然違う」と批判されることもしばしばである。物理学者のソーカルとブリクモンが書いた『「知」の欺瞞』という本は有名だが、ソーカルはあえて難解に思われる言葉を多用した内容のない論文を投稿したことがあり、それが審査に通って実際に雑誌に掲載されたことは強烈な批判となった。こうした場合については、その上で読むか読まないかは好みの問題とも言えるだろう。

 

 ちなみに、哲学書が難しい理由には他にも、ジョークの一種として「岩波文庫だから」というものもある。岩波文庫は読書人なら誰でもおなじみだが、分野を問わず古典を安価に読むことができるシリーズで、哲学書も多く入っているのだが、岩波は翻訳ものを初版当時のまま再版し続けることが多いので、新刊書店で中を見てぎょっとすることがある(行間や字詰などページデザインも当時のままである)。

 たとえばカントの『純粋理性批判』(岩波文庫1961年)について友人が「あれなんでまだ売ってるんだろうな」と言った時は思わず笑ってしまったものだが、もっともこれなどはまだ読みやすい方で、慣れの問題とも言えるから、「難しい」という先入観を持つことなく読むのが重要であると言えるだろう。

 あるいは、こうなるとさすがに読む人は減るだろうというものとして、手元にあるバークリ(今ではバークレーと言う)の『人知原理論』の冒頭から引用してみると次のようになる。

 

 「しかるに、私たちが感官と本能とを去って、一そう優った〔理知の〕原理の光に随うや否や、すなわち事物の本性について推理し、静思し、省察するや否や、以前には遺漏なく了解したように見えた事物について、百千の疑懼が心に湧き起るのである」(岩波文庫『人知原理論』p.15, 1958年初版, 2013年第10刷より)

 

 ちなみに、本書は新刊の岩波文庫に比べてページあたり文字数が30%増しぐらいで、文字も太い。一応、このあたりになると原書の英語も少しは堅いので雰囲気をよく表しているのかもしれないが、読むのに時間がかかるのは確かだろう。それよりもひどいのは、旧字や旧かなづかいで読まねばならない場合である。古書ならそれもいいのだが、昔の日本語を学ぶのが主目的ではない以上、やはりむやみに時間がかかるのであり、こういうのを半世紀たってもそのまま刷りなおすのはどうかというのが一般的な見解である。

 もっとも、岩波文庫は収録点数が多いので、これを差し引いてもとてもありがたい存在ではあるから、岩波書店の人がみていても怒らないでいただきたい。まともに学問したければまずは岩波文庫を全部読め、というのは今でも大学教授が生徒に向かって言うことである。

 

 さて、ところが、である。先日、実験心理学のニッチな研究ばかり集めた『脳がシビれる心理学』という本を読んでいたら、おもしろい実験結果を知った。別々の二つの実験だが、まとめると、人間は読みづらいフォントで文字を読むと(1)記憶に定着しやすい、そして(2)分析的思考力が上がる、という結果が出ているのだそうである。それなら、哲学書が読みづらい理由には、実はすべて意味があることになるではないか。

 

脳がシビれる心理学

脳がシビれる心理学

  

 

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

  • 作者: アラン・ソーカル,ジャン・ブリクモン,田崎晴明,大野克嗣,堀茂樹
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/02/17
  • メディア: 文庫
  • 購入: 2人 クリック: 27回
  • この商品を含むブログ (25件) を見る
 

© 2015 ネコナガ (id:nekonaga)
Amazon.co.jpアソシエイト