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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

幽霊を再現する装置について─幽霊はどこまでも「現象」である

tocana.jp

 

 いわゆる幽霊現象の神経科学的な側面に注目して、実験室で疑似的な体感を作り出せる機器が登場していたようだ。しかし、よくみると同じサイトで半年前にすでに紹介されていた。

 

 さて、参照記事では「幽霊」と訳されているが、例としては「サードマン現象」が挙げられているから、われわれがふつう「幽霊」と呼んでいるものとはちょっと意味が違うであろう。一般に幽霊は「気味が悪いもの」とみなされているが、サードマンは「励ましてくれたり」特定の方向へ「導いてくれたり」するからである。もっとも、日本でもたとえば中世では、ふつうの人間と同じように幽霊が人々とかかわっていたりもする。

 サードマン現象については以前にこのブログでもふれたが(宗教とは何か(4)神秘体験とサードマン現象)、要するに物理的・心理的にいわゆる「極限状態」になると、その場にいないはずの「誰か」の存在を感じやすいというものである。参照記事でもあげられている登山家の例などが有名だが、科学的に詳細な記述がすでになされているかは別として、ほとんどのケースについて何らかの説明は可能である。

 科学的な観点からざっくり言えば、「われわれの認識は外部刺激に根差しているので、日常と大きく異なる環境に置かれると、日常と大きく異なる体験をしやすい」というだけである。したがって本当は脳機能が「正常にはたらいている」からこういうことが起こるのであるが、これを「異常」とか「超常現象」と呼ぶのは、主観性と客観性を混同しているからである。

 

 参照記事では「幽霊は脳内現象である」ということがあたかもセンセーショナルに語られているが、少し科学をかじっていれば、そんなことは常識だというのは今では誰もが知っているであろう。「脳」が「外部世界の客観的事実」を認識しているというのは古いパラダイムで、現代的な感覚ではむしろ「脳内情報処理の結果として認識されたこと」を「事実」と呼ぶのである。

 つまるところ「客観的な事実」などはじめから存在しておらず、われわれの認識は、人間に固有の「知覚」の特性と、蓄えられた「記憶」の結節点に生じるから、あえて古い考え方に即して言えば、われわれのみている世界は「二重に歪められた」世界なのである。いずれにしても、「客観的な事実」などはじめから存在していない。だから幽霊現象は「事実誤認」ではありえないのである。

 ではなぜこういう言い回しが起こるかというと、要するに主観的認識をどこまで共有できるかという問題であり、言いかえれば「大多数の他者に説明可能な形で表現できるかどうか」なのである。それがいわゆる「科学的に解明されているか、いないか」ということの意味である。大多数の科学者は、実験で証明される前にだいたいの理論的説明はすでに共有している。科学は、仮説がなければはじまらないからである。

 それゆえに、「大多数の他者に説明可能な形で」ということを実現するために科学では「再現性」というものを重視するのであるが、つまり、誰がどこで何回やっても同じような結果が出て、同じ結論に至るような「実験」をデザインする。だからこの装置の意義もそこにあると思われるのだが、結局言いたいことは、私はこの実験をとても体験してみたいということであった。

 

サードマン: 奇跡の生還へ導く人 (新潮文庫)

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肉筆幽霊画の世界

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