フリー哲学者ネコナガのブログ

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なぜアマゾンのおすすめはあてにならないのか

 アマゾンで本を買っていると、「他の人はこんなのもみていますよ」とか「あなたへのおすすめ」という形で関連するものをすすめられることがある。このシステムに違和感をもっている人は多いであろう。もっともこの「おすすめ」は言わばビジネスの論理だから、こちらのことを本当に考えているわけもない。したがって文句を言っても仕方がない。

 しかし、そうは言ってもこうして示される「おすすめ」を参考にしたり、思わずクリックしている人はいるであろうから、このシステムをじっくりながめてみることも無駄ではないであろう。「われわれがテクノロジーを利用しているのか、テクノロジーがわれわれを利用しているのか」というのはくり返し問われる問題である。いずれにしても、このシステムをどう評価するかは別として、ここでは単にこのシステムの性質を考えてみたい。

 

 まず、このシステムのやり方を一言で言えば、「あなたが好きなこれを好きな人は、他にこれこれも好きであることが多いから、あなたもこれこれが好きなのではないでしょうか」というものである。ここではこれを「でしょうかシステム」と呼ぶことにする。実際はもっと数学的に洗練されているはずだが、おおよそ上のようなものであろうから、ここでは詳しいアルゴリズムには立ち入らない。

 もちろん、でしょうかシステムは人ではなくてコンピュータだから、ある人が何を求めているかというのは、観察や推測に基づくものではなく、もっぱらその人のアマゾンでの購入履歴、閲覧履歴、評価履歴によって判定されているのであろう。要するにデータの集積である。そこではつまり、データの集積としての架空の「あなた」が想定され、おすすめにはその「あなた」の「好み」が反映されているのである。 

 しかし、「おすすめ」ということであれば、この構造をみただけで問題点はすぐにわかる。一言で言えば、でしょうかシステムは「自らの尾を食むヘビ」状態なのである。順にみてみる。

 

 まず、そもそもわれわれが「おすすめ」に期待することは、自分ではない誰かの視点を持ち込むことによって、自分ではアクセスできなかったであろう何かにアクセスできるようになることであろう。あるいは目的がはっきりしているのであれば、それを満たすようなものを自分より詳しい誰かに教えてもらう。いずれにしても誰か他の人が登場するのがポイントである。

 しかし、よくみてみれば、ここで登場するのは自分だけである。でしょうかシステムが間に入るとは言っても、まったくの他者は介在していない。もちろん他の数多のユーザーのデータも参照されているのであろうが、そこで参照されているのは「自分とよく似た傾向を持っている人たち」であるから、結局はどこまでいっても自分を投影しているに過ぎない。そこでは、「おすすめ」にもっとも必要な「外部の視点」というものが欠けているのである。

 

 それなら、こと「本を選ぶ」ということであれば、でしょうかシステムを通じて「自分にとっていい本」に出会う確率はきわめて低いであろう。そもそもわれわれが本を読む時に期待しているのは、現在の「自我」からは見えない何かに出会うことである。「自我」とは、シンプルに「自分だけがその瞬間だけに持つ、世界に対する評価体系」のことである。認識の組み合わせがその人を形づくっているのである。それが組み変わることが知識を得ることであり、価値観が変わることであり、行動が変わることである。

 しかし、ここでは初めから自我に親和的なものだけに対象を絞っているために、言わば大枠が固定されてしまっている。つまり、新しい本に出会っているようで、実は「表面的に少し変わっただけのもの」にふれ続けているのである(これは現代に特有の消費形態であろう)。いずれにしても、本来「おすすめ」の機能は今の自分を超えて何かを「広げる」ことであるのに、でしょうかシステムの機能はもっぱら世界を「狭める」ことなのである。

 

 さらに、でしょうかシステムは「過去しかみていない」という点にも根本的な特徴がある。本来、人が誰かに「おすすめ」する時は、相手が結果的に何を求めているか、あるいは今の本人が何を好んでいるか、つまり未来や現在をみていることが前提である。しかし、でしょうかシステムはもっぱら過去のあなたしかみていないのである。

 そこでは言わば、あなたは過去の自我に引き戻される。それは過去の総計としての仮想的な「あなた」であり、利用すればするほどその「あなた」の自我を強固にして世界を狭めてしまうことになる。つまり、実はでしょうかシステムが前提としているのは、「あなたの自我は変わらない」ということなのである。しかし、どう考えてもあなたは日々変わるであろうし、自分に合わないものに出会いたくないのであれば、そもそも読書などしないであろう。

 

 このようにみれば、でしょうかシステムが自分にとって「いい本」に出合うためには役に立たないどころか、むしろ妨げになっているおそれすらあると言える。やはりおすすめは「人から人へ」ということなのであろう。多少、大げさに思えるかもしれないが、「理論的につきつめるとどういうことになるか」を常々考えていれば、テクノロジーに踊らされることはない。テクノロジーは、どこまでいっても「使う」以上のものではありえないからである。

 

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