フリー哲学者ネコナガのブログ

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宗教はなぜ広まるのか(1)なぜ「布教」するのか

 以前に書いた記事にコメントをいただいた。そこで疑問が二つあり、(1)自分が信じているものをなぜ他人にも信じさせようとするのか、そして(2)特定の宗教を信じることと神を信じることは同じなのか、というものであった。

 (2)については、言いかえれば「神なき宗教」あるいは「宗教なき神」はあるのかということになるが、これは私も考えていたことであり、そのうち記事にしようと思っていたのでとりあえず置くことにして、今回は(1)について考えてみることにする。

 

 自らの信仰をなぜ他者にも強いるのかというのは、言いかえれば「なぜ人は布教を行うのか」であろう。まず便宜的に二つの布教のパターンを考えてみる。

 一つは、自らのために他者に信仰を強いる場合、つまり信じてもらえばこちら側の益になるがゆえに行うパターンである(パターン1)。これは伝統宗教の発想からは外れていると言えるであろう。たとえばコーランには、受け入れない者に信仰を強いてはいけないと書いてある。あくまでも本人の意思が重要なのである。それは、信仰そのものの定義上そうならざるをえない。信じていないのに信じることはできない。

 反対に、一部の新興宗教などでは、たとえば教団にお布施してもらうことを期待して、あるいは思想的な勢力拡大のために、表向きは「いい人」を装いながら「勧誘」することがある。これが反社会性を内包している場合は、カルト宗教と呼ばれる。日本で「新興宗教」と言うともっぱらこうしたイメージが強い。ただし新興宗教にもいろいろある。

 もう一つは、相手のためを思って行う場合である(パターン2)。その場合、布教する方はすでに特定の宗教に親和的な認知体系を持っている。それゆえに「それしか見えていない」場合が多い。というより、信じてもいないのに他人に勧めるケースはほとんど聞いたことがないから、それしかないと言ってよいであろう。この点は示唆的である。それはつまり、「宗教は趣味程度に関わることはできない」ことを意味するからである。言わば全人格的なコミットメントが必要となる。

 

 そう思えば、ここで重要となるのは、よく言われる「民族宗教」と「普遍宗教」の区別である。「民族宗教」とは、一定の民族や地域の範囲内、言わば狭いコミュニティ内でのみ共有されるものを指す。いわゆる土着的な信仰から始まったものである。そこでは言わば、それを信仰できうる人はすでに信仰しているのであり、信仰していない人、つまりその共同体の外側の人には広める必要がないために、布教という発想が出てこない。

 一方で「普遍宗教」とは、特定の共同体を超えて、一定程度「普遍的に」広まりうる可能性を構造的にもっているものである。これには世界三大宗教と呼ばれるキリスト教、イスラム教、仏教が属する。そうなれば、「布教」が問題となるのは能動的な場合のパターン1と普遍宗教の場合のパターン2になるであろうが、ここでは後者をみることにする。一般的に、日本で「勧誘された」と言う場合はキリスト教が多いであろうから、ここではキリスト教を例にとることにしたい。

 いつもキリスト教ばかり例に挙げている気がするが、そもそも「宗教」という概念そのものがキリスト教に端を発するものだから、宗教を考えるのにキリスト教は避けて通れないのである。

 

 では、「キリスト教はなぜ教えを広めたがるのか」である。実はこれは、キリスト教の場合にはそれほど難しい問題ではない。そこではつまり、「広めよ」ということが教えそのものに含まれているのである。一般に信者を増やすのはこうした宗教である。つまり、(1)場所を超えて広まりうる構造をしており、かつ(2)布教に能動的な場合、大きな宗教ができやすいと言える。

 キリスト教で有名なのは、マタイによる福音書10章7節にあるイエスの言葉「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。」であろう。キリスト教の終末論の発想では、終末の時はすぐそこに近づいているのであり、その時にイエス・キリストを信じていれば救われるが(イエスが十字架ですべての人の罪をかわりに引き受けたから)、信じていなければ「永遠の死」が訪れる。それゆえに「福音」(good news)をいち早く多くの人に広める強い動機が得られるわけである。

 ちなみに、終末の時は「すぐ」と言ったのにもう二千年も経ってるじゃないか、と言われることがあるが、これはイエス得意のたとえであり、到来すると言われる「神の国」は物理的な場所を指すのではなく、心理的にそこへ行けと言っていると考えられる。宗教の論理を俗世の論理で読んでもわからないのである。

 

 ここで考えたのは言わばローカルな、個人や小集団による布教だが、宗教の拡大には実は国家の論理もからんでくるため、次回はそれについてみてみることにしたい。

 

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