フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセーです。

進化論の誤解(1)「変化する者だけが生き残る」について

 最も強い者が生き残るのではなく、

 最も賢い者が生き延びるのでもない。

 唯一生き残るのは、変化できる者である。

 

 というダーウィンの言葉があるらしい。先日とある記事を読んでいたら紹介されていて、私ははじめて知ったので気になって読み進めてみると、なんと、「ビジネスで生き残るにはダーウィンも言っているように変化するしかない、そうしないと生き残れない」ということであった。

 まあどんな言葉で元気が出るかは好みの問題なので別に否定はしないが、ダーウィンの引用に関しては一見したところ曲解も甚だしいので、そもそもダーウィンがこの言葉をどこで言っているのかを調べてみた。すると、言ってなかったことがわかった。どうもビジネスの世界で誰かが誤った記憶から言ったものがそのまま教訓として広まってしまったようだ。情報源はいくつかのウェブページだが、おそらく確からしい。

 

 ダーウィンの進化論を知っている人なら、上の言葉をダーウィンが言ったと聞いてもどことなく疑問を持ちつつ納得はするかもしれないが、こと「変化しなさい」というニュアンスでダーウィンが言ったと聞いたら、ひっくりかえるであろう。仮にこれがダーウィンの言葉だったとしたとしても、その意味での解釈はダーウィンの進化論に対する完璧な誤解だからである。

 

 進化論の主張を「変化する者が生き残る」と要約するのは間違いではない。しかし、そこでのこの文章は、単に事実を言い述べているだけであり、何ら教訓的なニュアンスを含んでいない。なぜなら、これは科学的言説だからである。

 そもそも進化論の発端となる問いは「なぜ、絶滅する種と生き残る種がいるのか」というもので、もう少しきちんと言えば、一定の環境下で生存可能な生物の数に限りがあると考えられるとき、生き残る者とそうでない者を分かつものは何か、ということであるが、この文章は、その答えとして「たまたま環境に適応していた者だけが生き残る」と述べている。逆に言えばこれは、生き残ったのは「変化していたから」(他の者たちとのあいだで環境適応力において差があったから)という結果論である。

 しかし、これが進化論の主張で、あるいは生物多様性が生じる原因の説明にもなっているために、生物学にはじめてパラダイムを与えたとされる。たとえばドブジャンスキーは、「生物学においては、進化の光に照らされなければ何事も意味をなさない」と述べている。ちなみにダーウィニズムはのちに「遺伝子」という考え方をとりいれて「ネオ・ダーウィニズム」となった。

 いずれにしても、しつこいようだが、これは自然を観察した結果として出てきた主張であり、自然科学的な主張である。たとえば、「ボールを投げれば、永遠に飛んでいくのでもない。すぐに落ちるのでもない。ボールを投げれば、少し飛んだあとに落ちていくのである。」と言っているのと同じようなものだと思えばよい。それは単に事実を述べているだけであり、自然法則を探る手がかりとなる観察結果を述べているだけで、何ら教訓を含んでいない。

 

  もっともこうした誤解は、生物一般の世界に対する無関心から生じているのであろう。人類の世界ばかり見ている人には、進化論はわかりづらい。多くの人は人類を中心に物事を考えるが、人類というのは進化論を適用するともっとも謎に満ちた生物だからである。これはダーウィン自身も認めている。

 

 さて、ここまでならあまりおもしろくないので、ついでに紹介してみると、一般にダーウィンは『種の起源』で進化論を提唱したとされているが、実は『種の起源』の初版には「進化」(evolution)という言葉は一度も出てこない(初版はProject Gutenbergでフリーダウンロードできる)。つまり、「進化論」というのはダーウィン学説をあとからまとめた呼び方である。

 あるいはダーウィンの進化論の影響を受けてスペンサーが社会進化論を主張したとする誤解もよくあるが、実際はスペンサーが先で、むしろそうした風潮を受けてダーウィンの方が「進化」となったのである。ダーウィンは進化論の言う「進化」にあたるものとして、「descent with modification」(変化を伴う由来)という言葉を使っている。

 また、「進化」というとどうしても「よい方に変化する」というニュアンスがあるが、進化論の言う「進化」には誰かから見て良いか悪いかといったニュアンスは入っていない。ただ、結果として生き残った者が遂げていた変化を「進化」と呼ぶのである。たとえば人間では尻尾が失われていることをわれわれは「退化」と呼ぶが、人間は生き残っているから、進化論的に言えばそれは「進化」とも言える。

 

 結局、進化論的に解釈すれば、進化という言葉の意味も「進化」しているということであろう。たまたま生き残る意味が選択されるのである。もっとも、こうした文化的な領域での進化の対象については、(1)人間の選好性の影響下にあること(2)水平伝播する(同一世代間でも受け継がれる)ことから、ドーキンスによって遺伝子とは別に「ミーム」という言葉が提唱されている(『利己的な遺伝子』)。

 

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

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種の起源〈下〉 (光文社古典新訳文庫)

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利己的な遺伝子 <増補新装版>

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