フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

読書論・メディア論

背表紙タイトル上下左右

文字を「どちらからどちらへ書くか」というのは、ご存知のようにそれなりのバリエーションがある。例えば古代では「牛耕式」というのも珍しくないが、つまり牛が農地を耕すように、左から右へ読んだ次の行は右から左へ読み、次の行はまた折り返して左から右…

「名言」とは何か─名言はなぜ誤解されるのか、あるいは名言の本当の使い方

「名言」というものがある。一般的にはこれは「偉人たちが残した」簡潔な言葉であり、時に「人生の役に立つ」とされているものである。そういった本も大量に出ているし、それだけ出るということは読んでいる人も多いのであろう。 しかし、一方で「名言とは、…

「良書」とは何か─本であることの利点が活かされているか

「良書」とは何かについて、少し考えてみることにしたい。ちなみに、日本で出版されている本に限る話である。 まず辞書で「良書」を引くと、いくつかみてみたが、いずれも「読んでためになる書物」と出ていた。まあ、辞書だから仕方がない。これなら「良い書…

なぜ雑多な本を読んだ方がいいのか─濫読にするか、座禅にするか

nekonaga.hatenablog.com 先日「フィルターバブル」の話をしたが、今回は「なぜ雑多な本を読んだ方がいいのか」ということで、そこからさらに進んだ話をしてみたい。前回の記事を読んでいない人のために、以下に要点をまとめておこう。 (1)検索サイトやSN…

「自我のインターネット」─思考の格差が、広がっているのだ

nekonaga.hatenablog.com 以前、まったくの思い付きから「なぜアマゾンのおすすめはあてにならないのか」という記事を書いてみたが、同じ問題をもっと一般化して論じているイーライ・パリサー『フィルターバブル──インターネットが隠していること』という本…

書店空間のかくれた次元─何が繰り広げられているのか

書店で、自分が見たい棚の前に(もっと言えば自分が立ちたい場所に)別の誰かが立っていて(もちろんあちらも立っているだけでなく本をみているのだが)、どうアプローチしようかとちょっと困ったことはありませんか。 まあ、もともと目当ての本がある場合は…

ショーペンハウエル『読書について』には結局何が書いてあるのか

ショーペンハウエル『読書について』(1851)を再読したので、それについてふれてみたい(私の中では「ショーペンハウアー」の方が自然なのだが、引用文献の表記に従うことにする)。読書論の古典として読み継がれているものだが、基本的には現代でも通用す…

本の未来を読んでみよう(2)これからの「書店」と「本」のありかた

nekonaga.hatenablog.com 前回、リアル書店が「立ち読み歓迎モード」に移行していることをみた。もちろん、これは私なりの一つの見方なので、事実として許容されているかは別の話だ(一応言っておくと、私は終始、分析しているだけで、個人的な価値判断は表…

本の未来を読んでみよう(1)立ち読みはどこまで許されるのか

「立ち読みはどこまで許されるのか」と題してみたが、リアル書店の現状を通して読書の未来を考えてみたい。「立ち読み」というのは、立っていようがいまいが、購入していない本を売り場で読むことである。これは、マナーという意味では基本的によくないこと…

ネット言葉が権威を持つかもしれない日─話し言葉と書き言葉、ネット言葉を話し言葉

先日、喫茶店で隣に十代と思しき若い女性の集団がいて、その中の一人が「ワロタ」という言葉をあたかも日常用語のように使っていた(私は同じ人の口からその言葉が発せられるのを5分くらいの間に3回くらい聞いた)。 一緒にいた他の人は使っていなかったが、…

電子書籍をどこで買うか─電子書籍市場のゆるやかな予測

「電子書籍」が出版市場に参入して久しい。現在は明らかに過渡期だからまだ先行きは不透明な部分もあるが、他の分野と比べつつ長い目で見れば、落ち着きどころはなんとなく見えてくる。ここでは「電子書籍をどこで買うか」という基本的な問題とともに、電子…

口伝より信憑性が高いという「文献」について

以前、上の記事に「音読と黙読の違い」について少し書いた。これは情報を受けとる時の違い、つまり「本を聴く」か「本を読む」かの違いということであった。今回はそれ以前の話として、情報伝達において媒体そのものが「音だけ」である場合と「文字がある(…

「著者」とは何か─ゴーストライターやオリジナリティのことなど

著者とは何か。「誰か」と問うた方がいいかもしれないが、ともかく「著者」なるものについて考えてみたい。 深く考えなければ、「著者とは、その本を書いた人のことである」と言ってよいだろう。というより、「それ以外に何があるのか」と言う人もいるかもし…

哲学書はなぜ読みづらいのか─読みづらいことにも意義はあるらしい

「哲学書はなぜ読みづらいのか」。ちょっとおもしろい実験を知ったので、これについて簡単に見てみたい。 一般に言われる「哲学書が読みづらい理由」は、大きく分けて二つあるだろう。一つは(A)内容が難しい場合、もう一つは(B)文体が難しい場合である。…

「本のよさ」とは何か─実用的価値と歴史的価値

「本のよさ」とは何か。これには様々な答え方が可能だが、いくつかの側面をとりあげてみたい。 そもそもこの問いに答えるためには、(1)ある人がそこで「何を本と呼んでいるか」そして(2)その人が「本に何を求めているか」を考える必要があるだろう。 …

「よい書評」とは何か─その本をいくら読んでもよい書評は書けない

よい書評とはどんなものであろうか。その前にそもそも書評とは何かという問題もあるが、それについては少しふれるだけにして、今回は「よい書評であるための条件」について考えてみたい。たいしたことではないが、あまり明文化されることのない問題である。 …

読書技術の進化史(2)黙読から速読へ

nekonaga.hatenablog.com 前回、「読書」という行為の歴史からすれば、大まかに言って「音読」から「黙読」への変化がみてとれると書いてみた。これをあえて「進化」と呼んでみたのは、少なくとも情報伝達・情報処理という意味では、より効率的なスタイルに…

読書技術の進化史(1)音読から黙読へ

「読書」を語るのに切り口はいろいろあるが、ここでは「本を読む」という行為について考えてみたい。 「本を読む」ときに何が起こっているかと言えば、文字言語を順を追って認識していくことによって、「本」というひとまとまりの形で表現されている「内容」…

なぜアマゾンのおすすめはあてにならないのか

アマゾンで本を買っていると、「他の人はこんなのもみていますよ」とか「あなたへのおすすめ」という形で関連するものをすすめられることがある。このシステムに違和感をもっている人は多いであろう。もっともこの「おすすめ」は言わばビジネスの論理だから…

「百科事典」とは何か─ウィキペディアは百科事典か

「百科事典」について考えてみたい。 しばしば、ディドロとダランベールが編集した『百科全書』が世界最初の「百科事典」であるとされる。ちなみに、ダランベールは執筆にはかかわったものの編集作業からは離れてしまったから、百科全書の完成に当たってはデ…

なぜ古典を読まなければならないのか─現代日本人が西洋近代の本を読む理由

古典とは一言で、時代を超えて受け継がれている書物のことだと言える。問題なのは、なぜ、いかに受け継がれたかということである。ある程度古い本のことを古典と呼ぶなら、本を書いたり出版したりする文化の進展とともに、古典の数は爆発的に増えていいはず…

なぜ本を読むのか─読書は「人生を豊かにする」ためにある

なぜ本を読むのか。理由は人によっていろいろあるだろう。大きく分けると、(1)必要に迫られて読んでいる場合と、(2)楽しくて読んでいる場合があると思われる。 (1)必要に迫られて読んでいる場合とは、仕事の関係で読んでいるとか、先生に言われて読…


© 2015 ネコナガ (id:nekonaga)
Amazon.co.jpアソシエイト